○ 李祖承, 以吏曹言啓曰, 高應觀通淸事, 臣疏批旨內, 其人不可置之䵝䵢之科, 其委折之果然與否, 詳考草記事, 命下矣。其弟應祿被謫委折, 取考徒流案, 則己酉年, 應祿以靈光座首, 漕倉討食之罪, 因營關, 定配於郭山矣。其弟之罪名雖如此, 應觀之與偉賊親密之狀, 公議峻發, 綻露無餘, 且其弟之爲鄕任, 明載文案, 則其兄不可置之臺閣之列, 依臣原疏所請, 施行, 何如? 傳曰, 然則因偉事端而發配稍異, 豈或律名與本情相左故耶? 否則別無可拘之端, 常時親密與否, 査問於該道, 俾免䵝䵢, 實合綜核之政, 而親密亦有許多般, 無故時往來知面而已, 無他綢繆於言論事爲之跡, 則亦不必爲拘, 以此知悉擧行, 可也。