○ 趙衍德, 以左邊捕盜廳言啓曰, 本廳兼從事官金守基遷轉, 代以訓鍊院正吳文常首擬, 入啓承批矣。無故在家, 衆所共知, 而托以臣病, 送言請遞, 已過五日, 終不投刺。又不祗受通符, 近來兼從事之厭避, 誠一痼弊, 稍有地處履歷之人, 看作卑賤之窠, 不欲隨行, 致有今日, 吳文常驕縱之擧, 莫非臣冒叨匪據, 疲軟見凌之致, 而若此不已, 則日後兼從事之任, 將無以備擬, 弊亦無窮, 豈有如許體統乎? 不可置而不論, 當該從事官吳文常, 爲先決棍汰去, 俾懲後弊, 其代改望, 何如? 傳曰。紀綱雖曰解弛, 焉敢爲此厭避之擧乎? 棍太薄勘, 不足懲他, 甚麽意思, 价川郡充定土校, 卽日下送, 以嚴將幕之分, 可也。