○ 李祖承, 以刑曹言啓曰, 凡雨漏處修改, 例於快晴後卜日, 今番亦然, 陵廟修改, 以待快晴, 該曹回啓。獨於神室滲漏處, 修改吉日, 不待晴霽, 定於今日, 事面也, 事例也, 未有所據。況此祭, 卽徧于群神, 而風伯雨師, 亦皆薦禋, 當此祈晴之時, 反爲祈雨之議, 於禮舛矣, 於祭瀆矣。且夜風朝雨, 尙稽霽止之意, 雖欲修改, 瓦濕非可論, 欲不爲則曉行告事由祭, 以此以彼, 擇日之該監堂上, 啓聞之該曹堂上, 俱不可無飭, 竝罷職, 當該日官, 令攸司, 各別科治後, 草記事, 命下矣。謹按律文, 則大明律不應爲條有曰, 凡不應得爲而爲之, 事理重者, 杖八十, 依此律, 當該日官金聲說, 各別嚴杖八十度, 科治之意, 敢啓。傳曰, 近來日官, 不知擇日之法, 甚至莫重修改事, 所爲如是無據, 萬萬痛惡, 各別嚴杖, 降定該監書員。此後日官, 雖留窠, 如非術業精熟之人, 無敢差定, 而若或苟充, 致有現發於考講試技之時, 則堂上之重勘, 姑無論, 行首日官, 移送法司, 重治該監, 兼敎授, 嚴杖定配, 繼不饒貸。以此傳敎, 書付渠廳事, 嚴飭分付, 可也。