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승정원일기 89책 (탈초본 1693책) 정조 15년 8월 4일 병오 20/23 기사 1791년  乾隆(淸/高宗) 56년

    ○ 漢城判尹李敏輔疏曰, 伏以臣於見職, 揆分不稱, 而感激恩數, 盡力供仕, 荏苒淹旬, 亦非始料, 卽伏見太僕草記允下傳敎, 極其嚴截, 臣誠滿心慙悚, 無以措躬, 罪大罰輕, 止於問備, 罔非異渥, 攢祝何旣, 而其間委折, 不敢不略暴於聖鑑之下, 臣尤死罪, 日昨赴衙, 有朴經漢者, 年踰七十, 稱爲文靖公李穡影堂守直, 而猝被洞少鄭龍安酗酒致辱之變云, 故果爲發差, 而推問之前, 未詳爲誰, 安知其爲牽馬陪而移文捉來乎? 及聞自告爲牽馬陪, 則當如例進來治罪, 而旋卽退送, 初無一笞所加, 當日事狀, 如斯而已, 草記辭語, 何爲乃然耶? 臣與提調大臣, 自其未釋褐, 相知已久, 不曾待臣如是, 聞今疾勢陡劇, 殆不辨戶外事, 無乃乍聽驟訐者之言, 不復審察而然歟? 臣不欲費辭分疏, 而臣所慨然者, 欲少懲頑酗之習, 粗效一日之責, 不惟左右牽掣, 莫能措手, 只此牽馬陪, 一杖所不下者, 亦致有嘖言, 臣之賤品朽質, 固無足數, 而廉隅所關, 不可一刻蹲據也, 決矣, 玆敢冒入文字, 仰瀆崇嚴。伏乞聖明, 俯賜鑑諒, 特加鐫改, 仍治臣瀆撓之罪, 以肅朝綱, 不勝幸甚。答曰, 省疏具悉。旣知事實, 卿其勿辭行公。

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