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승정원일기 90책 (탈초본 1706책) 정조 16년 6월 14일 신사 15/19 기사 1792년  乾隆(淸/高宗) 57년

    ○ 判敦寧金履素疏曰, 伏以臣不忠無狀, 遭罹罔極, 進不得瀝血, 退不能剚腹, 俯仰跼蹐, 直欲溘然。幸賴我聖上, 日月於臣, 父母於臣, 以愆尤則萬殞難贖, 而殿下悉燭其事實, 以汚衊則千濯莫洗, 而殿下亦賜之薰沐, 人則欲坑坎而我殿下拔之, 世則皆捃摭而我殿下恕之, 身家之得保矣, 性命之獲全矣。臣雖卽日滅死, 可以歸見祖先, 闔門感泣, 北望攢手, 退伏鄕廬, 杜門自訟, 日夕魂夢, 長繞觚稜, 而區區塵刹之報, 只卜於他生矣。乃於千萬夢寐之外, 又有隆天厚地之渥, 曲費聖念, 而刪去臺臣之啓, 旋畀樞銜, 而許作無故之人, 仍飭上來, 辭敎委曲, 瞻聆所及, 莫不聳動。噫, 爲人臣子, 荷生死肉骨之恩於君父者, 從古何限, 而夫豈有如臣今日之所蒙被哉? 手擎首頓, 血淚漬面, 誠不知所以爲心, 而敦府除命, 此際踵下, 如臣孤恩負德, 死有餘罪者, 何以得此於聖明之下也? 臣自承恩敎, 不敢一向偃處, 他不暇顧, 蒼黃登途, 霖濘艱關, 今始來伏城外, 稽慢之罪, 尤屬罔赦, 而第念滓穢餘蹤, 旣不可以恒人自居, 亦不當以朝紳自處, 則揚揚入脩門而齒班聯, 初非可論。此非敢意到於顧恤廉隅, 愛惜身名而然也。卽是事理之所不得不爾, 則今玆竭蹶上來, 秪爲其進詣郊坰之近, 叩謝海山之恩而已。豈敢有一半分憑藉寵靈, 夤緣晉身之念於其間也哉? 咫尺象魏, 瞻天無路, 有臣如此, 不如死之爲愈矣。玆敢披瀝肝膈, 冒瀆崇嚴。伏乞聖慈, 曲賜矜察, 亟命鐫名朝籍, 仍許屛跡田畝, 以終生成之澤, 俾遂歌詠之忱, 千萬幸甚。答曰, 省疏具悉。卿其勿辭行公。

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