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승정원일기 91책 (탈초본 1730책) 정조 18년 5월 24일 경술 13/22 기사 1794년  乾隆(淸/高宗) 59년

    ○ 左承旨李鼎運書啓, 臣敬奉聖諭, 馳往傳諭于西部龍山防兄弟井契領中樞府事蔡濟恭所住處, 則以爲俄於史官之回, 冒上附奏, 而情急自暴, 語多煩猥, 伏地惶懍, 惟大何是俟? 不意半夜江村, 承宣馳到, 聖諭誨責, 愈往愈摯, 負罪賤臣, 何以得此? 瞻天九頓, 益不知死所, 第聖諭中出而後量, 以臣之千古罕有之知遇, 日月之明, 猶或遺照於容光, 莫非臣不誠之罪, 尙何云喩? 雖然臣則竊自以爲中心之所自量者, 未出之前, 業已爛熳。蓋聖上, 若以爲乃言可用, 明示悔悟於三司諸臣, 仍令亟擧懲討之典, 使天經地義, 無所虧壞, 則謹當趨簉禁門, 仰賀日月之更, 如其不然, 雖恩言荐降, 嚴敎疊下, 但當迷不知變, 死而後已。凡此所自量者, 非倉卒慷慨而發者, 今聖上, 乃反疑之以出而後量, 區區衷情, 豈不冤且悶哉? 屢日齋居之餘, 以臣私義, 致煩酬應, 論臣罪負, 金木猶輕。第聖諭中自有可爲四字, 聖人之言, 含蓄深遠, 實有鄒聖所云王庶幾之意, 此非臣敢自妄度, 亶出於仰殿下如·, 恃殿下父母而然矣。北望雲天, 益切顒祝。伏乞收還承宣偕來之命, 務靖朝象, 使臣得以復入脩門, 以紓離違戀結之忱焉云矣。臣旣承偕來之命, 姑爲仍留之意, 敢啓。答曰, 知道。

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