○ 甲寅十二月十三日辰時, 上御便殿。右承旨與整理堂上入侍時, 右承旨李晩秀, 假注書吳泰曾, 記注官金良倜·承膺祚, 戶曹判書沈頤之, 司僕提調徐有防, 水原留守趙心泰, 以次進伏訖。上曰, 整理所擧行, 今已就緖乎? 頤之曰, 凡所措辦者, 皆先備待, 故似無工役之張大矣。上曰, 整理所之分定堂郞, 蓋不欲一毫煩民邑之弊也。禮簡而義重, 事約而費省, 水原留守, 亦知此意, 宜所措劃, 先爲量度, 務從精簡也。有防曰, 內殿輦輿軍服色, 以黃衣草笠而磨鍊, 濟用監所支用者, 今亦依例爲之乎? 上曰, 前下留在者, 可用則仍之, 其所不足而當爲新備者, 整理所劃下。凡所橋梁之費用, 賞格之應下者, 亦皆於整理所支出之地, 可也。上曰, 今日抄啓文臣之問安也, 只憑閣吏之言, 卽皆退去云, 此後則成班於閣臣之後, 待司卷之承批出傳, 然後撤班, 可也。頤之曰, 時御所內, 各司雨漏處, 每於四季朔, 看審修改, 而時値隆冬, 待明春擧行, 何如? 上曰, 依爲之。命退, 諸臣以次退出。