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승정원일기 94책 (탈초본 1783책) 정조 21년 11월 20일 을유 19/25 기사 1797년  嘉慶(淸/仁宗) 2년

    李海愚, 以義禁府言啓曰, 日寒如此, 禁府時囚照律, 區別功議, 先放送後, 草記事, 命下矣。時囚罪人鄭在中原情公事判付內, 如渠地處, 小心宜所自別, 若有一分嚴畏之心, 居官不職, 以致應賦之任他奸弊, 畢竟使小民受困, 白地再徵近百同升, 細之木品者, 究厥罪狀, 合置重辟, 拿問之下, 數句爰辭, 惟以漫漶爲計, 節節痛駭, 待朝更爲開坐嚴問, 捧口招以聞, 無敢如前遊辭, 使之從實輸款, 罪取考律文, 則大明律制書有違條有曰, 凡奉制書, 有所施行而違者, 杖一百, 對制上書詐不以實條有曰, 凡對制及上書奏事, 詐不以實者, 杖一百徒三年, 名例有曰, 二罪俱發, 以重者論, 大典通編推斷條有曰, 犯私罪, 杖一百以上決杖, 告身盡行進奪, 雜令條有曰, 王府決杖者, 代以金贖, 大明律犯罪存留養親條有曰, 凡祖父母·父母老疾應侍, 家無以次成丁者, 若犯徒流, 收贖存留養親矣。鄭在中, 從重論, 杖一百收贖, 告身盡行追奪, 徒三年定配, 而其八代祖, 光國功臣, 永安尉異姓五寸親云, 功議各減一等, 杖八十收贖, 告身盡行追奪, 徒二年定配, 而其母年七十七歲云, 杖八十徒二年定配, 依法典收贖, 告身盡行追奪, 放送之意, 敢啓。傳曰, 知道。

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