○ 徐邁修, 以吏曹言啓曰, 丁巳二月二十五日備邊司草記壇享事體, 至嚴且重, 而不可以宗親·儀賓, 替行裨將之禮, 臣樂性, 病情昏迷, 無以起動, 兩原任皆有故, 到此地頭, 似無可據之例, 臣濟恭, 謹當不恤顚沛, 趨詣將事, 獻官單子若啓下, 則今夜誓戒, 亦當進參矣, 敢啓, 批旨內, 祀享何莫非嚴重, 而壇享體貌, 尤有別焉, 此後攝享, 領議政不參, 則左議政以下原任大臣, 該曹草記然後塡差, 至於時任大臣俱有故, 無以差祭之時, 誓戒前一日, 以何以爲之吏曹草記稟旨, 則竊寓執玉帛之行, 宗臣·儀賓, 亦充使臣之例, 當命通融差定, 以此令禮曹, 載之壇儀可也事, 命下矣。今此大報壇, 遣大臣攝行祭, 獻官當爲塡差, 而領議政未差, 左議政蔡濟恭, 右議政李秉模, 領府事洪樂性, 領敦寧金履素, 俱有身病, 判府事金憙在外, 何以爲之? 敢稟。傳曰, 儀賓塡差, 可也。