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승정원일기 94책 (탈초본 1787책) 정조 22년 2월 29일 계해 32/37 기사 1798년  嘉慶(淸/仁宗) 3년

    ○ 右議政李秉模箚曰, 伏以昨日, 政院因下敎, 以諡號署經事, 政府開坐與否, 使之知入, 臣慮致夜深仰煩酬應, 卽爲開坐, 而諡狀達曙催促, 今始來到, 蓋聞太常之傳于禮曹, 在於二鼓, 禮曹之傳于吏曹, 在於三鼓, 吏曹之呈于政府, 在於今朝, 擧行本非有難事, 而旣知政府之開坐許久, 拖至翌日, 以致無端經宿, 曾亦有此否乎? 此莫非臣見輕而然也, 臣當自反之不暇, 何可尤人, 而所惜者國體, 當該玉堂·奉常正·吏禮曹堂上, 爲先從重推考, 恐不可已矣。仍伏念臣, 忽自夜來, 爲風濕所中, 半體不遂, 僅得扶舁還次, 而症形非常, 恐難以時日蠢動矣, 賓坐籌坐, 近久未行, 廟務多滯, 病思益切惶憫, 玆敢仰暴實狀。伏乞聖明, 特賜鐫免, 俾得安意調治, 以尋生路, 千萬幸甚。答曰, 省箚具悉卿懇。政府之開坐經宿, 諸司事駭然。大關紀綱, 箚請依施, 所愼極用悶慮, 卿須安心善攝, 竢間視事。仍傳于李書九曰, 此批答, 遣史官傳諭, 遣御醫, 持相當藥物看病。

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