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승정원일기 95책 (탈초본 1805책) 정조 23년 3월 1일 기미 32/34 기사 1799년  嘉慶(淸/仁宗) 4년

    李書九, 以迎接都監言啓曰, 傳曰, 今番勅行時, 灣府及三道各處之迎勅儀節, 未免大不審, 前則牌文先爲出來, 朝廷旣爲例爲之擧, 灣府以下, 亦當一例行之, 而今行旣無牌文, 非所可論, 設有牌文之如例出來, 以宣勅前徑爲, 爲不可而除之, 知委, 則舊例今例, 旣如許, 豈可以無前例之事, 不當援之例, 徑先行之乎? 然而關西地方旣爲之, 海西·松都, 不可異例。至於弘濟院, 則頒勅在於翌日, 依畿伯入侍筵敎擧行之意, 進去大臣, 以此意分付畿伯處, 而雖以常時勅行言之, 諸道大邑, 迎勅書行禮, 甚爲不可。此後定式除之, 雖使勅使聞之, 必以爲當然。此一款, 迎接都監, 問于大臣草記, 仍爲謄關, 支勅諸道, 俾載謄錄事, 命下矣。依傳敎, 發遣郞廳, 問議于大臣, 則左議政李秉模以爲, 頒勅前諸道大邑之迎勅書行禮, 果有私自行禮之失, 而謬例轉相循襲, 不知其爲非禮矣。伏奉聖敎, 至正至當, 始覺意義之曉然, 臣無容他議云。右議政沈煥之以爲, 迎勅儀節, 旣多釐正, 則灣府以上諸邑, 徑行不當行之謬例, 極爲非矣。今此聖敎, 至正至當, 臣於僚相之議, 無容異同云矣。大臣之議如此, 上裁, 何如? 傳曰, 依大臣議定式, 可也。

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