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승정원일기 95책 (탈초본 1805책) 정조 23년 3월 4일 임술 42/54 기사 1799년  嘉慶(淸/仁宗) 4년

    ○ 奎章閣原任直提學徐鼎修, 直提學徐龍輔·李晩秀, 原任直閣南公轍·徐榮輔·金祖淳, 檢校直閣沈象奎等聯名箚曰, 伏以, 臣等卽伏見傳敎下者, 有出置罪人鄭妻全宥之命, 臣等讀之未半, 相顧驚愕, 不覺心膽隕墜。噫, 自丙申二十餘年, 宗社幾危而安, 倫綱將墜而敍, 一國含生, 不爲禽獸之歸者, 卽一部明義, 而明義錄中逆魁禍首, 鄭妻是已。只緣臣等不忠不誠, 未遂沐浴之義, 尙稽罄甸之誅, 大小臣民, 日夜腐心痛骨, 而歲月寢遠, 人心益狃, 臺閣章啓, 亦歸故紙, 忽於千萬夢外, 有此千萬非常之命, 至於置之京第, 業已久矣之敎, 尤是臣等不忠不誠, 萬死有餘之罪也。載籍以來, 豈有逆魁禍首如鄭妻, 而可議於宥之一字乎? 此闕也故憤惋普切, 此日也故痛迫尤倍, 臣等所知者, 只明義錄而已, 不暇緩聲, 相率聯籲。伏乞亟收成命, 仍允前後三司之請, 使國爲國而人爲人焉。取進止。答曰, 省箚具悉。此闕此日, 有此擧者, 可謂有所據, 不允。

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