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승정원일기 96책 (탈초본 1817책) 정조 24년 1월 23일 병자 20/21 기사 1800년  嘉慶(淸/仁宗) 5년

    ○ 草莽臣宋穉圭疏曰, 伏以臣於本月十五日, 準承政院十二日成帖所奉聖旨, 以臣爲侍講院諮議, 斯速乘馹上來者, 臣聞命震駴, 若隕淵谷, 臣至愚極陋, 百不猶人, 少而失學, 亦不能從事擧業, 只得屛蟄窮巷, 優游自在而已, 乃有虛名遠播, 竟致薦剡荐加, 自一命以至於講廳僚屬, 實皆非微分所敢安矣。今玆新命, 出於宮僚之妙選, 而別諭繼降, 辭意隆摯, 臣心之惶隕, 有不可言, 而物情之駭惑, 當復如何, 聖明之於賤臣, 有此恩敎者, 殆以臣爲或有得於家學之緖餘, 而臣誠萬不近似, 則實難免欺誣明時之罪矣。臣於是, 尤安得不內愧外靦, 寢驚夢愕也。竊惟我王世子, 睿質天成, 溫文日就, 令聞益彰, 八域延頸, 今於受冊之初, 宜盡輔導之方, 而顧乃以鹵莽如臣者, 猥廁於遴揀之列, 豈不舛謬乎? 臣若不自量度, 而冒昧趨承, 則其爲玷名器而累淸朝, 以招一世之譏笑極矣, 是實臣之所深懼也。伏乞聖慈, 俯賜鑑諒, 亟許鐫遞, 俾安愚賤之分, 千萬大幸, 臣無任云云。省疏具悉。纔聞贊善造朝之期, 充然如有得, 仍蘄懷德之行, 與爾偕至, 際見爾章, 旣巽且謙, 遐心莫回, 翹予跂予之餘, 悵與媿竝也。大抵芝則有本, 醴則有源, 而巖捿巷飮, 力學求志, 自有日章之美, 孚尹旁達於朝著之上, 則眷玆東岡之陂, 豈爾牢守之地也? 慶禮之後, 講筵將開, 此時薰陶之功, 竊有望於爾等, 勉須卽日登途, 用副側席之思。仍傳于徐有聞曰, 此批答, 直以書下本, 成送有旨於道臣, 俾卽傳致諮議宋穉圭處。

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