○ 庚申四月初七日辰時, 上御便殿。軍士房承旨入侍時, 同副承旨曺錫中, 假注書李允謙, 記事官金珍恪, 記注官承膺祚, 以次進伏訖。上曰, 紅牌道類聚, 已爲之云耶? 錫中曰, 問諸兵曹, 則安寶後, 爲道類聚云矣。上曰, 安寶時, 自致日暮耶? 錫中曰, 似不至日暮矣。寶守直, 兵曹郞廳當爲之, 而若値夜巡時, 則以入直該堂替守乎? 上曰, 依此爲之。今番初試, 未免雜亂, 而以其慶科也。故一竝勿問, 甚至有殿試入格人漏落之弊矣。安寶時, 須張張照檢, 毋至, 有空名帖生奸之弊, 可也。明日頒花頒牌時, 易致紛雜喧譁, 禮·兵房承旨外他承旨, 亦爲進去, 使之各別整齊, 日高後頒花牌, 而故例兵曹吏頒牌, 忠贊衛頒花, 番番諠雜者, 攫花一節矣。今番則忠贊衛若不足, 則使各該營校之率來者, 優數入之, 使之頒花頒牌, 擧行各別申飭, 瞥眼間頒給, 可也。又敎曰, 言端旣出矣。忠儀衛, 自是嫡長, 所戴有角帽容或, 可也。忠贊衛, 安敢着有角帽乎? 此後則嚴飭, 無復如前冒犯事, 以此筵敎, 傳于兵判, 可也。仍命退, 承史以次退出。