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승정원일기 97책 (탈초본 1832책) 순조 1년 1월 8일 을유 32/35 기사 1801년  嘉慶(淸/仁宗) 6년

    ○ 判義禁朴準源疏曰, 伏以, 臣支離殘喘, 寄息禁廬, 未遂褥蟻之忱, 莫慰攀髥之慟, 撫歲色之凌遽, 念國步之艱危, 中夜以興, 恒焉不寐, 于今月屢更矣。千萬不自意, 慈敎誕宣, 辭旨鄭重, 褒之以秉執之堅, 諭之以見識之明, 仍有判金吾陞擢之命, 臣雙擎九頓, 驚遑悚戁, 不知措躬之所也。秉執莫嚴於義理, 而奉揚先王之明命, 服膺慈聖之彝訓, 則巖廊在焉, 見識克透於經傳, 而薰陶沖齡之德性, 輔迪初元之治化, 則經筵在焉。顧臣憃愚, 不過老學究耳, 戚聯王室, 跡廁戎垣, 遂失措大之本色, 而惟望巖廊之協贊, 經筵之啓沃, 以基我萬億年閎休闓澤, 而今玆寵諭, 敻越常格, 是豈臣所敢承當而冒受者哉? 至如見帶峻秩, 從蔭路而進者, 非國舅元勳山林宿德, 則無敢與焉。朝章國典, 自來至重, 有不可違越, 而況當新服之初? 凡於持循規度之際, 宜存兢畏之戒, 用副朝野之望, 而以臣處地之稍異, 有此非常之擧措, 仰累姚姒之慈德, 瞻聆所及, 孰不憂歎? 繁纓, 小物也, 聖人尙惜其名, 郞官, 庳列也, 明主猶難其人。今也上卿崇班, 何等隆爀, 而苟充以千不近之賤品, 書之簡策, 垂之來後, 後之視今, 當復如何? 過分之災, 尙屬私憂, 濫授之懼, 亮非細節, 心焉疚痛, 聲不暇緩。玆敢瀝血號籲, 仰瀆崇聽, 伏乞聖慈, 仰稟東朝, 亟收新命, 以重公器, 以安微分, 不勝大願, 臣無任屛營祈懇之至。答曰, 省疏具悉卿懇。 慈敎特授, 卿何辭巽? 卽爲行公。仍傳于崔獻重曰, 此批答, 金吾郞傳諭, 仍卽牌招。

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