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승정원일기 99책 (탈초본 1870책) 순조 3년 8월 1일 계해 31/33 기사 1803년  嘉慶(淸/仁宗) 8년

    李海愚, 以刑曹言啓曰, 因掌令崔雲翰上疏惡少事, 聞極驚駭, 令該曹除尋常嚴加擬律事, 批下矣。前月二十八日西部阿峴居故承旨臣崔重圭戶奴呈狀內, 以爲, 芹洞李亨在·金魯春·李永弼·朴甲甫等, 作黨突入內庭, 毆打其內上典, 其所作挐, 罔有紀極云。 聞甚驚駭, 卽發刑吏捉來, 嚴問其委折, 則渠輩認以酒家, 呼酒不賣, 故轉成言詰, 而李亨在·朴甲甫, 先毆曳衰之喪人, 次犯年老之婦女, 李永弼·金魯春, 隨往助勢之狀, 箇箇遲晩矣。究厥所犯, 萬萬兇獰, 竝施嚴刑二次, 各別牢囚, 而其中朴甲甫, 知機逃躱, 故祕移捕廳, 姑未捉得, 而謹按律文, 則大典通編推斷條有曰, 毆打士族, 事情明白, 傷者, 杖一百, 流二千里, 事目內, 吏卒罵五品以上官, 事理絶悖者, 杖一百, 徒三年, 名例云, 二罪俱發, 以重者論, 隨從者減一等。 李亨在·朴甲甫等, 從重論, 杖一百, 流二千里, 李永弼·金魯春等, 以隨從減一等, 杖一百, 徒三年照勘, 而其在嚴懲之道, 不可但以依律文遽然發配, 連加嚴訊, 分輕重次次發配, 朴甲甫, 待捉得, 亦爲一體嚴刑後發配之意, 敢啓。傳曰, 昨筵有所詢問於大臣, 首犯嚴刑三次, 減死絶島定配, 隨從嚴刑二次, 邊遠勿限年定配, 其中逃躱者, 嚴飭該廳, 斯速捉納, 事係變怪, 旣諭於臺疏之批者何如, 而今此草記尋常擬律, 大失司寇之責, 卿則罷職。

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