○ 嚴耆, 以刑曹言啓曰, 義禁府啓辭內, 臣等頃以祿賊諸孫, 依鍾烈例擧行事, 聯名疏籲, 伏承依施之批, 魯亨·魯鼎·魯連, 已爲定配所發配, 而其庶孫有無, 使之査報, 卽接驪州牧使金孝建牒呈, 則漢祿庶子弼柱子喆興, 年十一歲, 喆夢年四歲, 喆成年二歲, 寅柱子百孫年五歲, 千孫年二歲, 修成冊以來矣。 喆興年過十歲, 全羅道樂安郡定配所, 令刑曹押送, 而其餘俱不過五歲。 然如此劇逆種子, 亦不可留置於近畿, 而旣不得施孥戮之典, 則幼稚之類, 不敢擅便擧行, 何以爲之? 敢稟。 傳曰, 知道。 待年滿發配事, 命下矣。 喆興在於京畿驪州地, 令道臣, 押送配所, 其餘喆夢·喆成·百孫·千孫等, 俱在驪州地云, 待其年滿, 亦令道臣, 定配所發配之意, 一體分付, 何如? 傳曰, 允。