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승정원일기 102책 (탈초본 1921책) 순조 7년 1월 28일 경오 28/31 기사 1807년  嘉慶(淸/仁宗) 12년

    ○ 左議政李時秀疏曰, 伏以, 惠慶宮患候, 歷日彌留, 未復天和, 伏惟聖心焦憂, 夙夜靡寧, 區區下情, 誠不任悶迫之至。 仍伏念, 臣罪臣自知之。 日前前席, 以慰悅慈心之意, 屢縷諄複懇摯, 而不能奉承而將順, 臣之罪也。 忱誠淺薄, 言辭拙訥, 不能孚格宸衷, 感回天聽, 成命一下, 擧朝驚沸, 隄防弛而典憲壞, 臣之罪也。 自朝至夜, 八次求對, 瀆擾爭抗於聖念, 煎遑之中, 不覺自陷罔赦之科, 竟至於承聞人臣不忍聞之嚴敎, 此又臣之罪也。 有一於此, 尙難逭於鈇鉞, 況兼有此三者乎? 雖微官庶僚, 負此罪名, 無以抗顔於世, 況身居輔相匡弼之地者乎? 震遑奔逬, 泥首金吾, 惟願威命之遄加, 乃蒙聖慈, 曲賜涵貸, 荐降勿胥之命, 聖恩愈隆, 臣心愈蹙, 顧何敢憑恃寵靈, 晏然自同於無故乎? 且臣以被罪爲期之意, 質言仰對於咫尺之地, 而誠不見孚, 罪未蒙勘, 若又依舊冒沒於廊廟班聯之間, 則是欺天也。 臣雖無狀, 豈忍爲此, 一向屢瀆, 尤增死罪? 今方徑出城闉, 恭俟嚴譴, 藥院直宿, 百僚簉班, 而臣獨戴罪包羞, 遠向郭外, 情窮勢蹙, 諒非獲已。 有臣如此, 生不如死, 臣今離違軒陛矣。 尙庶幾轉圜之德, 穆然垂察, 王章不至永墜, 群情得以少定, 則臣雖遄蒙誅殛, 萬萬無餘憾矣。 敢效獄中上書之義, 冒萬死猥控短籲。 伏乞聖明, 亟命攸司, 議臣當被之律, 以嚴國綱, 以勵臣分, 不勝大願。 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉卿懇。 慈候一樣靡寧, 悶迫何言? 卿以因一時下敎, 初以胥命, 末乃出城, 卿以體國之大臣, 不思此而然乎? 至於傳敎之事, 已悉諭於筵中, 卿豈不體予之情乎? 卿之入城, 予方坐以待之。 仍傳于成龍彦曰, 此批答遣史官, 傳諭于左議政。

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