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승정원일기 102책 (탈초본 1936책) 순조 7년 11월 7일 갑진 29/29 기사 1807년  嘉慶(淸/仁宗) 12년

    ○ 漢城左尹朴崙壽疏曰, 伏以臣猥以無似, 濫躋卿列, 外內歷淺, 踰越涯分, 涓埃蔑效, 罪戾徒積, 每一循省, 惶恧交至。 日前以牙山縣漕船事, 道臣旣被恩譴, 則臣之溺職, 於是尤著矣。 蓋眺字船失火, 在於臣待罪藩以前之事, 而若論其不能檢飭, 未卽改造之罪, 則臣與前後道伯, 宜無異同。 故臣方見縻禁堂, 而該邑諸倅之捧供, 亦不得冒沒參座, 其不敢以事屬前伯, 罪在邑倅, 獨自倖逭, 晏然供職也明矣。 宜卽據實請勘, 恭俟譴何, 而素患癖積之症, 卽臣平生貞疾, 每當寒節, 如期復發, 近又陡劇於數旬挾感之餘, 委席呻囈, 不省四到, 自列之擧, 尙稽至此, 伏地隕越, 如添一病, 此際又伏奉京兆除旨, 有罪未勘, 遽蒙恩命, 臣心惶愧, 尤當, 如何? 淸朝四維, 不宜緣臣而澌壞, 詞訟劇地, 不可緣臣而瘝曠, 以情以病, 冒膺無路, 玆敢略控情實, 卯瀆崇嚴。 伏乞聖慈, 府垂鑑諒, 亟命遞臣職名, 勘臣當律, 以昭法紀, 以安賤分, 公私不勝幸甚。 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 卿其勿辭察任。

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