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승정원일기 103책 (탈초본 1947책) 순조 8년 윤 5월 7일 임신 11/20 기사 1808년  嘉慶(淸/仁宗) 13년

    ○ 傳于洪奭周(曰), 予聞之, 國之重者輔相也, 身之重者股肱也。 國而無輔相, 其國亂, 人而無手足, 其身危, 故爲國莫急置相, 置相莫急得人。 上應天上之三台, 下爲人君之股肱, 其職也, 至重至大, 其任也, 至大至重。 苟非忠直老成之人, 不可居於此位也, 明矣。 況此時卽何時也? 紀綱日益解弛, 實有掃地之嘆, 風俗漸加頹隋, 不勝識者之憂。 民生之倒懸, 豈責守令之罪? 詞訟之不明, 亦難枚擧而論, 以至千緖萬端, 皆不如前, 今日不如昨日, 今年不如昨年, 遂致恬嬉之成習, 未擧振勵之美政故也。 卿, 喬木世家, 奕世簪纓, 兼以忠愼謹愨, 遍歷公卿, 聖后之家人, 三朝之舊臣。 卿月·宰班, 藩閫·戎垣, 績庸已著, 輿士之期望, 百姓之具瞻, 有倍於他人。 以如此之人, 居如此之位, 爲我之股肱, 爲國之楨幹, 使紀綱嚴風俗美, 以至於民生之疾患, 百僚之能否, 莫不董飭, 予將居上而無憂矣。 卿之一身, 非獨有榮, 予之得相, 豈不喜乎? 況與獨賢之左閤, 共濟時事, 亦豈不善且美哉? 望卿, 體小子懇切之言, 念古昔良弼之行, 卽起入來肅命, 與左相論道經邦事, 遣史官傳諭于右議政。

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