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승정원일기 104책 (탈초본 1988책) 순조 10년 9월 24일 병자 14/15 기사 1810년  嘉慶(淸/仁宗) 15년

    ○ 副應敎李惟命疏曰, 伏以臣, 性本愚魯, 學又空疎, 初不近似於論思之任, 而前後冒膺, 亦已屢矣, 每一登筵, 醜拙畢露, 居常愧懼, 若隕淵谷, 不意玆者, 誤恩復加, 二日之間, 除旨聯翩, 以臣代臣, 殆若非此莫可者, 臣誠惶隕感激, 益不知措躬之所也。 顧今館直不備, 法筵間停, 臣忝在侍講之列, 豈敢爲逡巡之計, 而第臣篤老偏母, 素抱貞疾, 寧日恒少, 近因日候之過涼, 添以痰眩之症, 飮啖全廢, 眞元凜綴, 諸般證情, 極其危厲, 臣方左右扶將, 離捨無路, 召命之下, 連事違傲, 逋慢之罪, 實無所逃。 玆敢略暴情懇, 仰籲於天地父母之前。 伏乞聖慈, 俯賜鑑諒, 亟削臣職, 以便救護, 仍臣治瀆擾之罪, 以肅朝綱焉。 臣於請急之章, 不宜贅他, 而事在目下有難泯默, 敢此附陳, 惟聖明, 垂察焉。 昨日館僚, 以康津縣定配罪人丁若鏞事, 有所陳箚, 而臣未及出肅, 不得聯參, 私竊憂慨, 不能自已, 及夫批旨之下, 尙靳允兪之音, 臣於此, 益不覺瞿然失圖也。 噫, 彼若鏞, 本以邪學之徒, 傳襲於同氣, 淵藪於黨與, 論其罪犯, 三尺難逭。 其時減死之典, 已爲失刑之甚, 而今其子, 肆然擊錚, 竝與編配而乃欲掉脫, 究厥情狀, 尤極無嚴。 又況眞贓未覈, 聲討方張, 豈可遽然放逐, 不少持難耶? 伏願殿下, 更加三思, 亟寢成命, 以示闢異之義焉。 臣無任云云。 省疏具悉。 已諭於前批, 爾其勿辭救護。

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