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승정원일기 105책 (탈초본 2016책) 순조 12년 6월 1일 임인 31/32 기사 1812년  嘉慶(淸/仁宗) 17년

    ○ 應敎金學淳疏曰, 伏以天眷吾東, 茀祿川至, 聖候已臻平復, 王世子冊禮將擧, 吉辰漸近, 奠宗祊於泰山磐石, 騰謠頌於星輝海潤, 太平萬世, 自今伊始, 蹈舞歡忭, 大小同情。仍伏念, 臣於月前, 猥隨三司諸僚之後, 敢陳一國同聲之討, 始也求對, 未蒙召接之音, 繼而陳箚, 至有還給之命。只緣如臣無似, 忝叨匪據, 旣不能竭誠而孚格, 又未能隨事而匡救, 致有此無前非常之過擧, 慙悚無地, 進退維谷, 雖不得不陳章自列, 相率徑出, 而懲討之義, 論思之責, 壞了無餘。 顧其罪, 不但止於溺職虧分, 而其爲貽累聖德, 誠非細故, 時日雖久, 惶蹙冞切, 尙何可厭然自處以三司, 揚揚抗顔於周行乎? 向來恩遞, 雖感體諒之仁, 今此更叨, 實無趨承之望, 召牌之下, 冒犯違傲, 益增罪戾。且臣母病, 春夏以來, 長時委頓, 而近因炎節, 忽添似感似瘧之症, 寒熱迭作而精神不能收拾, 痰積交肆而飮啖幾乎全却, 宿症新祟, 種種危劇, 臣方左右扶將, 晝宵刀圭。 見今情理, 旣無離捨之望, 揆以廉防, 尤爲難進之端, 玆敢略陳短章, 仰暴情懇。 伏乞聖慈, 俯垂鑑諒, 亟賜鐫斥, 以靖私義, 以便救護, 不勝幸甚。臣無任云云。 省疏具悉。 爾其勿辭救護。

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