○ 水原留守李益運疏曰, 伏以臣, 以人則至鹵下, 以才則至空疎, 而歷事三朝, 偏蒙雨露, 從前颺歷, 罔非踰濫。 況以起廢之蹤, 厚沐翦拂之恩, 數年以來, 兜攬殆遍, 且感且惶, 如集于木, 今此居留之命, 又何爲而及於臣身也? 矧玆華城, 所重有在, 不可但以保障言也。 陵園拱護之制, 行宮整理之節, 規劃井井, 何莫非先大王精力之攸及, 則事體之至重, 責任之不輕, 比兩都·南城, 尤有別焉。 蓋自設施之初, 叨是職者, 除非望實俱隆, 才諝素著者, 則莫或居之, 此豈譾劣如臣, 老誖如臣者, 所可承當也哉? 噫, 臣於此地, 十年陪扈, 一土一石, 往蹟依然, 今以留後之任, 躬執掃灑之役, 瞻依之餘, 義分粗伸, 則豈不誠榮感萬萬, 而其奈材力之所不逮, 地望之所不孚, 而不自揣量, 晏然冒膺, 則畢竟僨誤, 可立而待, 毋寧畢陳衷悃, 早自祈免, 以冀天日之俯燭而體諒, 故玆敢冒入文字, 仰瀆崇嚴。 伏願天地父母, 察臣言之非出飾讓, 念是職之不宜僥濫, 亟遞臣所授職名, 以重保釐, 以安賤分, 千萬幸甚。 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 卿其勿辭察任。