○ 宣傳官李貞坤書啓, 臣於本月初一日辰時量, 以內外南山及東南蠶室摘奸事, 敬奉聖敎, 馳詣楊州牧古楊州面東蠶室, 摘奸是白乎則, 大中小桑木, 合爲七千七百二株是白遣, 今年新植爲五十株, 而一區桑田, 有成行之處, 或有散列之處, 疎密雖曰不同, 旣無剪敗之弊, 且多漸茂之意是白乎旀, 次詣果川縣上北面南蠶室摘奸是白乎則, 大中小桑木, 合爲七千三百十株是白遣, 今年新植爲一百五十株, 而田之平鋪, 樹之簇立, 無異於東蠶室所見是白如乎, 上項兩處監考等良中, 益加禁養之意, 申明嚴飭是白遣, 次詣外南山, 自一牌至四牌, 一一看審是白乎則, 長松稚松, 擧皆茂密, 山腰以下, 雜以橡木, 隨其土地之厚薄, 雖有長短之不齊, 一望蒼蒼, 到處同然是白遣, 四處祭壇, 旣是所經, 一體看審, 則階砌門垣, 俱爲無頉是白乎旀, 次詣內南山, 自一牌至三牌, 竝爲看審, 則大小松株, 滿山蔽麓, 有連抱之大焉, 有如麻之密矣, 斧斤不入, 木根絶無, 年來松楚[禁]之嚴, 於此可見是白乎旀, 巡山參軍及禁松軍等, 各守其牌, 烽臺將卒, 亦爲無闕是白乎齊。 傳曰, 知道。