○ 假注書朴永元書啓, 臣於本月初一日辰時量, 以外南山植木摘奸事, 敬奉聖敎, 出崇禮門, 至南關王廟, 登主山及案山植木處看審是白乎, 則松木鬱然, 橡樹間之, 未見斧斤之痕是白遣, 由靑鶴亭, 逶迤南北, 所過處面面周審, 則長松密匝, 稚株叢茂, 舊失火處所植木, 今已蒼然茂盛是白遣, 仍至典牲署後面冷井洞, 則大松參差, 擁蓋一山是白遣, 下山詣南壇看審是乎, 則繞墻累砌及紅箭門, 竝無圮傷處, 而主山及案山松樹, 甚盛是白遣, 踰文峴, 至梨泰院後麓, 到水閣峴是乎, 則山脊犖确, 木性不宜, 略有穉松, 姑未茁茂是白遣, 前至馬石橋, 松林蒙翳, 而烙印舊痕, 年久脫落, 無以尋覓是白遣, 到鴈峰伏兵峴植木處, 則亦已薈蔚成林是白遣, 迤東而至畫景谷, 松橡相雜, 周匝山谷是白遣, 遵斗湖而歷審司寒壇墻砌及主山案山, 竝無頉是白遣, 至安靜寺, 日暮止宿是白遣。 初二日登無學峰, 土性雖甚磽薄, 樹木猶且茂盛是白乎旀, 外山諸處, 一一看審, 竝無斫伐之痕是白齊。 臣仍由光熙門, 復路之意, 敢啓。 答曰, 知道。