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승정원일기 109책 (탈초본 2118책) 순조 19년 7월 12일 임신 23/28 기사 1819년  嘉慶(淸/仁宗) 24년

    趙台榮, 以備邊司言啓曰, 各道秋操稟啓, 今已齊到矣, 克詰之政, 有國所重, 顧何敢輕議闊狹, 而見今諸道穡事, 春夏之交, 暵乾太甚, 庚前一霈, 幸得及時, 未移之畓, 雖皆齊揷, 嶺南上道之若而處, 畿內右沿之四五邑, 未免過時, 湖西一路, 多被沈墊, 秋成尙遠, 豐歉未判, 且況甲乙歉荒, 近古所無。 間雖數年少登, 瘡痍猶多未蘇, 流亡猶多未集, 此時軍民之遠地齎糧, 間關赴操, 實有主客俱困之慮, 到此事勢, 不得不以安民爲重, 詰戎爲次, 今秋諸道·三都水陸諸操巡歷巡點, 竝姑停止。 至於官鎭門聚點, 苟能着意擧行, 繕修器機, 申明號令, 則名雖停操, 實則行操, 以此意嚴飭諸道, 各樣都試覆審考講, 亦令依例設行, 組練啓稟, 本有期限, 而全羅兵使之限後登聞, 有違定式, 該帥臣推考, 何如? 傳曰, 允。

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