○ 傳于嚴燾曰, 頃以濬川事, 雖已有講究者, 到今思之, 則當此大無之年, 一邊設賑, 一邊發賣, 而反使都下民人輩, 收斂以助國役, 殊非荒年存恤之本意。 濬川時百官軍民生徒員役工匠等赴役一款, 置之, 內下銀二千兩, 以充其代不足之數, 令廟堂更爲從長區劃事, 分付濬川司。