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승정원일기 117책 (탈초본 2346책) 헌종 3년 9월 13일 무자 19/19 기사 1837년  道光(淸/宣宗) 17년

    ○ 丁酉九月十三日辰時, 上御熙政堂。 大王大妃殿垂簾, 咸鏡監司入侍時, 左承旨金鼎集, 假注書柳泰東, 記事官趙徽林·李時愚, 咸鏡監司徐耕輔, 以次進伏訖。 上曰, 史官分左右。 大王大妃殿敎曰, 咸鏡監司, 進前奏職姓名。 耕輔前奏訖。 大王大妃殿敎曰, 北道本是豐沛重地, 朝家軫念, 與他道自別, 連値歉荒, 賑政纔畢, 未知道臣及守令, 能盡心爲之, 仰體朝家軫念之意, 而且深北王化未及之地, 爲守令者, 惟事椎剝之政, 不顧顑頷濱死之民命。 卿於下去後, 多歧廉探, 若有泛忽賑政, 無良不法之類, 一一摘發論勘, 而如或有拘於顔私之弊, 予亦當聞之。 雖以卿言之, 非但辜負朝家而已, 以何面歸對乎? 耕輔曰, 傳聞本道事勢, 纔經賑政, 瘡痍未蘇, 且臣才識不逮, 恐負慈敎, 誠爲悚惶矣。 又敎曰, 卿必善爲之, 而每事期欲善爲, 則必無未善爲之之理, 欲善爲而設或未盡, 其害還少。 卿其惕念對揚, 以紓九重北顧之憂。 耕輔曰, 臣謹當殫竭誠力, 以盡臣職, 而知識淺劣, 恐無以對揚慈敎之萬一矣。 鼎集奏曰, 宣諭何以爲之乎? 敎曰, 出去爲之。 上命史官就座。 仍命退, 承史以次退出

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