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승정원일기 118책 (탈초본 2388책) 헌종 7년 2월 11일 병인 21/21 기사 1841년  道光(淸/宣宗) 21년

    ○ 吏曹參議金大根疏曰, 伏以臣承宣恩除, 曾未幾日, 繼以臣爲吏曹參議, 臣聞命惝怳, 莫省處身。 以官則顧己不稱, 決難冒膺, 以時則見在闕庭, 未敢徑出, 進退兩難, 罔知攸措。 第伏念縟儀隔日, 慶溢區宇, 朝賀同時, 歡均舞蹈。 臣於是終不容膠守廉防, 獨阻呼嵩, 率爾肅命, 若固有之, 竊自循省, 羞汗漬衣, 誠不知人謂斯何。 且況臣之策名朝籍, 周章邇班, 亦已十有五載矣。 內而家庭所聞見, 外而身親所經歷, 宜若可以諳委時務, 通習世情, 奈其稟性奊詬, 文質無當, 臨事糊塗, 九倒八顚, 而兼以受氣脆薄, 貞疾已痼, 藥裹隨身, 寧日常少, 此實儕友之所共憐, 而諒非一時過情之言也。 由是之故, 甘心自棄, 性習相成,, 夫斂退就懦澹泊自守, 卽古人標致間事, 而在臣則便是黃門之貞, 投閒置散, 乃分之宜。 矧玆職任, 比之長銓, 雖有間焉, 通塞選職, 自有與聞之例, 夤緣事會, 亦有代斲之時, 至於享官塡差, 專任其責, 事甚綦重, 在朝家愼簡之道, 誠宜量能度才, 無曠厥官, 而乃以如臣之百無肖似者, 苟然充位, 無少留難, 僨誤狼狽, 臣何足道, 而貽累淸朝, 爲何如哉? 玆敢不避瀆撓, 仰暴眞情。 伏乞聖慈, 察臣材之靡堪時用, 鑑臣言之匪出飾讓, 亟賜鐫免, 回授可堪之人, 以安私分, 以重公器焉。 臣無任云云。 省疏具悉。 爾其勿辭察職。

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