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승정원일기 119책 (탈초본 2405책) 헌종 8년 8월 6일 임오 45/46 기사 1842년  道光(淸/宣宗) 22년

    平安監司金興根疏曰, 伏以, 臣以無似, 猥膺重寄, 力弱而肩鉅, 器小而受大, 才不逮心, 智不周事, 一日二日, 積有曠墜, 每自循省, 慄如淵谷, 早晩鳴暴, 準乞恩諒, 此臣區區計慮之已熟於中者, 而目下疾病實狀, 湊之以到頭公幹, 誠有所萬萬迫阨, 進退不得者, 玆敢冒悚齎愆, 仰首疾號。 臣於客夏之季, 偶嬰痢下之祟, 始認炎濕所攻, 例餌淸滌之劑, 中緣形證攸變, 迭試溫補之方, 而毋論緩峻, 如水投石, 潛銷暗鑠, 有劇無歇, 計凡五十有餘日矣。 氣息則較覺萎綴, 運動則彌自艱棘, 閑漫文簿之按常位署, 亦有不能自力之時, 而顧今大比攝試, 成命已下, 開場之期, 只多十許日字矣, 檢束而齊整之, 不得不費者聲氣也, 考閱而崇黜之, 不得不用者心力也, 以臣見狀, 責之以此, 卽亦事理之說不去也, 藉令僥倖少瘳, 容或勉强於其時, 揆以事體, 已涉苟且窘遁之極。 況以往推來, 決知其無此乎? 第臣之得病, 已在於成命之前, 則仰冀變通, 宜在於成命甫下之後, 而因循時日, 泯默于今者, 誠以臣病之致此危毒, 臣亦不能自料於初也, 而竟使莫重國試, 緣臣而有臨急狼狽之虞, 此尤臣死罪也。 在臣道理, 惟有及今卸免, 歸身司敗, 劃被當勘之律而已, 顚伏床玆, 收召神思, 潦率迷亂, 言不知裁, 伏乞聖明, 亟遞臣職, 仍治臣自列緩後之罪, 以幸公私焉。 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 一時偶然之病, 何可輕遞? 至於試事, 合有變通, 方令該曹, 差送都事矣。

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