○ 李源祚, 以備邊司言啓曰, 卽見忠淸水使鄭宅善狀啓, 則以爲, 洪州外烟島居民, 持納一小樻子及一片楮紙, 謂以異樣船, 來浮于本島前洋, 出給樻子, 而楮紙則彼人與島民私相問答之語, 事當到底窮査, 還給樻子, 故押付于問情官洪州牧使徐承淳, 水虞候金遠喜處, 使之曉諭還給之意, 措辭關飭云矣。 異樣船之逗遛屢日, 未及問情, 固萬萬疎虞, 而旣有島民問答筆蹟及樻子來納者, 則事當卽地坼見, 一一以形止登聞, 而謂以窮査, 押送于問情官, 初無一辭之及於樻子中何物問答之何語者, 焉有如許事體乎? 若曰初不坼見, 則何以知樻子之還給當否? 而必令曉諭還給, 前啓旣云船已遠去, 不得問情, 則今此押付于問情官者, 又是何意乎? 如非疑怯, 必是推諉, 事係邊情, 何等嚴急? 而其所處事, 究說不得, 當該水使, 爲先罷黜, 令該府拿問重勘, 其代, 政官牌招, 開政差出, 使之當日辭朝, 樻子與問答筆蹟, 卽具形止消詳, 星火馳啓之意, 嚴飭, 何如? 傳曰, 允。