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승정원일기 121책 (탈초본 2490책) 철종 즉위년 8월 22일 정해 5/16 기사 1849년  道光(淸/宣宗) 29년

    ○ 又啓曰, 三司諸臣, 以爲懲討, 係是時急, 一日假息, 則有一日失刑之歎, 二日假息, 則有二日失刑之歎, 輿論公憤, 日甚一日而叫閽已十晝夜矣, 徹啓已十數度矣。 始承昨日之批, 臣等固知處分將下, 首惡可誅, 而不忠不道至妖至慝之罪, 旣盡照燭無遺, 則天討不容暫緩, 國言不容暫拂, 此臣等所以期於置辟逆, 不欲晷刻容貸者也, 且以諸凶言之, 指使聽嗾, 腸肚相連, 誣逼莫嚴, 情犯至重者, 徐相敎·尹致英也, 飛撥先於陪衛者, 李應植也, 製藥敢於私室者, 申觀浩也, 是皆人臣之極罪, 而斷案各具, 李能權·金鍵, 癡濫狡黠貪饕跳踉, 作俑群奸, 負犯罔測, 竝不可島籬而止, 則此臣等所以仰請鞫覈者也, 衷情轉急, 玆又求對云矣。 傳曰, 退去。

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