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승정원일기 122책 (탈초본 2507책) 철종 1년 7월 19일 기유 33/37 기사 1850년  道光(淸/宣宗) 30년

    ○ 知事金興根疏曰, 伏以臣病伏江干, 凡於周行, 應參而未參者久矣。 雖緣實狀則然, 而恒自悚仄, 只恨此生之良苦, 伏聞日昨, 有史局堂上仕進飭敎, 臣於是尤萬萬惶蹙, 不知所以自措也。 夫是役也, 卽我先大王終事之地也。 廁名於諸堂之列, 苟可以自力, 則孰敢不殫竭奔走圖效微私之忱, 而顧臣病狀, 月加日增, 百症迭發, 恒在床笫, 奄奄若垂盡, 最是眼視昏霧, 咫尺對人, 尙不能辨其誰某, 至於看詳考校之事, 尤非可論也。 業欲據實陳懇, 冀蒙恩諒, 而嚴畏居先, 因循至此, 今焉筵飭截嚴, 逋慢滋悚, 非不欲亟加調治, 期圖蠢動, 而奈此貞痼之祟, 去益乖噩, 時日之內, 彈束無望, 煩瀆崇聽, 極涉猥越, 而屢回自量, 亦不敢晏然偃處。 玆敢力疾呼籲於憫覆之下。 伏乞聖慈, 俯賜鑑諒, 仰稟東朝, 將臣史局兼銜, 極令減下, 仍治臣冒瀆之罪, 以肅朝綱, 以安微分, 不勝大願。 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 先王之事, 惟此實錄而已。 卿之效勞之心, 宜倍餘人, 善加將攝, 課日仕進。

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