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승정원일기 122책 (탈초본 2509책) 철종 1년 9월 27일 을묘 16/17 기사 1850년  道光(淸/宣宗) 30년

    ○ 大司憲金鍏, 大司諫李敎英, 持平兪貞煥, 獻納李亮信等聯名箚曰, 伏以臣等, 卽伏見院議批旨下者, 始知有物故罪人陽淳停啓之命, 竊不勝相顧驚歎之至。 噫, 彼陽淳, 本事之關係, 果何如也? 一世之聲討, 又何如也? 典憲至重, 不可漫漶而止, 而只因案未究竟, 經致殞斃, 王章屈而未伸, 輿情久而愈鬱, 丹書俱在, 白簡不泐, 今於纔過十年之後, 漫然屬之時移事往之科, 而容易擧擬於昭雪之典, 則其可曰國有刑章乎? 臣等固知聖朝寬大, 無物不遂, 今玆處分, 特出於宥辜滌瑕, 咸與惟新之盛意, 而第伏念有國之所愼者刑章也, 所重者公議也。 刑章明而隄防嚴, 公議行而朝廷尊, 擧措之間, 一或顚倒於是, 拂逆於是, 則將見綱紀漸弛, 民志滋惑, 而國不得以爲國, 思之及此, 寧不凜然而寒心哉? 玆敢疾聲聯籲, 冒瀆崇嚴, 伏乞聖明, 穆然深思, 仰稟東朝, 亟寢成命, 以存大防, 以靖世道焉。 取進止。 答曰, 省箚具悉。 本無可爭之端, 斯速停啓。

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