○ 慶尙監司徐箕淳疏曰, 伏以臣, 質旣朽衰, 性又鈍滯, 凡係剸理, 非其攸能, 而況玆嶺臬重寄, 管轄較多, 繁縟爲最, 萬萬非如臣病殘駑劣者所可擔夯, 而頃當一初休明之會, 首膺大藩往欽之命, 簡畀出於尋常, 期勉不啻鄭重, 在分義, 惟有盡瘁, 異日顚沛, 不遑暇恤, 遇事修擧, 縱未自期於古人, 竭力對揚, 必欲無負乎初心, 而才具不逮於接濟, 瘡疣多生於剖署, 待罪倏已周歲, 而可紀竟無一事, 耕斂畢省, 而田野無足給之助, 糶糴皆筦, 而倉廩無實積之儲, 精力未周於綜察, 知慮莫效於施措, 一應率多停閣, 百凡從以瘝墜, 涓埃報答, 尙矣無論, 邱山辜戾, 去而愈積, 爲臣之計, 唯當早自引退, 少輕其罪, 而銜恩徊徨, 荏苒時月, 冬期於開春, 春期於秋屆, 匪據之據, 冒至于玆, 循省騂汗, 措躬靡所, 此臣之宜去而不宜留, 不待其疾病之有無, 而況臣素患積聚之證, 卽臣四十年已痼之貞疾也。 病情之劇歇, 常視元氣之虛實, 而南來以後, 水土不伏, 胸膈痞滿, 筋絡拘攣, 胃敗阻食, 升龠未準於兼日, 血燥失眠, 更漏常徹於每夜, 臂麻不能搦盈寸之管, 眼花無以下數行之牒, 舌鈍於授判, 耳瑩於聽詞, 形神以之而益勞, 精氣以之而益耗, 宿祟因釁而闖肆, 證形比前而冞篤, 刀圭竝進於左右, 湯液相尋於朝暮, 惟此觀風旬宣之地, 直爲臣養病淹留之所而止。 此固臣罪上之罪, 其去之宜亟而不宜遲。 亦不待病狀之不可爲, 而臣於巡部之行, 强策馳驅, 晨夕之所觸冒, 寒感兼劇, 頑痰壅肺, 虛嗽成嘔, 喘息促急, 按住不得。 擔舁還次, 委身床玆, 舊證新祟, 竝乘交攻, 昏窒悶絶, 奄奄欲殊, 見狀如此, 其何以一日因循於綦重鞅掌之地哉? 臣宜去而不去, 宜亟而不亟, 今至於病不可爲而後, 始議去就, 固其爲計, 亦已晚矣。 若不及今籲免, 而漸底於神識都迷, 省覺無餘, 則臣雖欲冒具文字, 以冀生成之澤, 亦不可得矣。 臣罪至此, 又當如何? 懍惕之極, 其情益急, 玆敢罄暴衷懇, 仰瀆崇嚴。 伏乞聖慈, 俯垂諒察, 仰稟東朝, 亟刋臣見叨重任, 俾得卸負好還, 往就醫藥, 僥倖少延殘喘, 復尋生路, 則從今至死之年, 皆我殿下賜也。 生死肉骨之恩之德, 宜如何報哉? 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 所請依施。