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승정원일기 122책 (탈초본 2514책) 철종 2년 2월 18일 을해 11/13 기사 1851년  咸豊(淸/文宗) 1년

    ○ 兼春秋玄基濬書啓, 臣敬奉聖諭, 更爲傳諭于右議政朴永元所住處, 則以爲, 臣於史官宣批之日, 猥有附奏, 泥首頓地, 誅罰是俟, 今又伏奉恩諭, 誨責敦勉, 丁寧懇摯, 有若國事廟務待臣而倚重者然, 臣誠惶恐悶塞, 不知所出。 臣之一身, 非己之有, 而已獻於上, 從前叨冒, 何莫非濫越, 而未嘗固讓而力辭, 惟今之沁俔縮伏, 甘犯罪戾者, 豈臣樂爲也哉? 較量於公私界分, 便有大防之在前者耳。 今臣所處, 窮迫到極, 而危苦之衷, 猶有未盡輸瀉者, 附奏體嚴, 不敢張皇, 謹當齋沐構思, 冒萬死更籲。 近侍之多日留淹, 萬萬悚阨, 惟願先賜召還云矣。 臣旣承期於偕來之命, 故姑爲仍留之意, 敢啓。 傳曰, 知道。

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