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승정원일기 124책 (탈초본 2583책) 철종 7년 9월 1일 을묘 20/21 기사 1856년  咸豊(淸/文宗) 6년

    ○ 吏曹啓目粘連, 觀此慶尙監司申錫愚狀啓, 則以爲, 本道水旱, 係是無前極備, 災民接濟之方, 次第經紀。 昌原卽尤甚邑也, 該府使鄭周應, 治績有聲, 三政修擧, 奸猾有屛息之效, 窮蔀多來暮之謠。 今於巨浸之後, 殫竭誠力, 庶幾乎變災成實, 回咷爲笑, 而瓜期不遠, 民情惜去, 日事呼訴, 有難始終强拂兺除良, 今若遞改, 付之生手, 則迎送之弊姑舍, 檢田一款, 尤爲可慮。 同府使鄭周應, 限一年仍任事, 令該曹稟處亦爲白有臥乎所, 守令之瓜滿差代, 乃是金石之典是白乎矣, 本府以被災尤甚邑, 方多經紀之事, 則此時遞易, 誠爲可悶。 昌原府使鄭周應, 依狀請限一年仍任, 何如? 啓, 依允。

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