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승정원일기 125책 (탈초본 2623책) 철종 11년 1월 1일 병인 20/21 기사 1860년  咸豊(淸/文宗) 10년

    ○ 勸農綸音。 王若曰, 君以民爲天, 民以食爲天, 惟食之原, 亶出于農, 而務農之要, 亶在於時。 在昔聖帝哲王, 致平諴小之道, 罔不以農功爲急先務, 大堯之命, 惟曰敬授人時, 帝舜之咨十二牧, 亦惟曰食哉惟時, 亦粤姬周盛際, 置保介田畯之官, 以時而戒飭農夫, 遂致歲取十千, 而廩高萬億, 及時勸農之政, 顧不重且大歟? 洪惟我列聖朝傳授家法, 不外乎康公田公, 故每歲孟春, 首降惻恤之敎, 民皆詠仁而舞德, 罔或惰農而自安, 豊有之祥, 振古如玆, 寔克至于今日休。 予小子粤自舊勞之日, 深知小人之依, 逮當臨御以來, 每軫節愛之道, 百姓足誰與不足, 一夫飢猶己之飢, 比歲飭諭, 不啻諄複, 而三歲菑二歲畬, 不思所以昏作, 一夫耕十人食, 安得免於空乏? 惟我御事, 不能惕念對揚, 致使游手之輩, 不服沾體之勞, 雖有豊稔之荐至, 而每患恒産之不給者, 以予敷心腹之至言, 視同塗耳目之文具, 奪民力而違農時之故也。 言念及此, 玉食靡甘, 今當三陽回泰之初, 政屬九農備豫之時, 凡我方伯居留守土之臣, 迨此于耟之節, 亟圖其耕之要, 率斯民而轉緣南畝, 使吾民而平秩東作, 土脈始解, 則高田可治, 地肺漸潤, 則下田可犁, 其各庤乃錢鎛, 簡爾畚梮, 修堰障陂, 而克盡御水之策, 借牛資糧, 而莫緩墾土之功, 無擾民而奪其力, 無侵民而違其時, 夫然後以興嗣歲, 乃亦有秋, 爲國家之瑞, 頌農夫之慶也, 豈不休美哉? 於戲, 臣工之咨茹, 何待暮春? 象魏之懸法, 其在正月, 式克欽承, 無替予命。 行都承旨南秉吉製進 

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