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승정원일기 125책 (탈초본 2633책) 철종 11년 10월 1일 신유 21/21 기사 1860년  咸豊(淸/文宗) 10년

    ○ 吏曹參議金炳地疏曰, 伏以臣於不呼之餘, 秋曹奎華, 除旨聯翩, 繼而有三銓特簡, 悲苦餘喘, 惶霣斯倍, 記簪之聖念縱勤, 駕屨之微分莫遂, 誠以情有所切, 義難遽冒, 跼高蹐厚, 靡所自措。 念臣舋險不天, 幼失所怙, 畢生爲命, 惟慈母是已, 究竟獲戾神明, 奄遭閔凶, 宜死不死, 轉KC11216[眄]之頃, 燧火改而冠裳復, 木石之身, 吁亦頑且忍矣。 奉誥告榮, 今焉無地, 此臣所以煩寃結轖, 無復當世之念, 而伏況又有愴慟之泯滅不得者, 臣於年前, 獲厠孝正殿執事之末, 仰以瞻饋奠之儀, 俯以伸號擗之忱, 將以趨走番休, 思效塵刹之萬一矣。 間因私制, 未克終事, 此生此世, 此何人斯, 此其爲臣抱公私靡逮之恨, 殆忽忽無生意矣。 今玆所有恩命, 俯仰今昔, 有淚無從, 以榮爲懼, 猶屬緩聲, 臣纔從先墓還, 臣季父撫項而誨曰, 汝與疎逖有異, 今當睽違之餘, 苟可以趨造, 則起居承安, 道理也義分也, 至於選部之銜, 豈可以日月之私照, 雨露之偏渥, 而不念集木〈之〉戒, 自速濫竽之譏哉? 家庭恪守之規, 父兄之所逡巡而不敢承膺者, 無或玷聖簡而墜先訓也。 臣躬承至喩, 帀晝宵而恐懼靡定, 於是乎臣之去就, 不待兩言而決耳。 玆於政牌之下, 略控衷懇, 仰瀆宸嚴。 伏乞天地父母, 將臣吏曹參議之任, 亟賜鐫斥, 俾蒙終始生成之澤, 不勝大願。 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 爾其勿辭察職。

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