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승정원일기 127책 (탈초본 2680책) 고종 1년 8월 7일 기해[을해] 18/20 기사 1864년  同治(淸/穆宗) 3년

    ○ 判敦寧李景在疏, 伏以仙寢展謁, 吉日將屆, 中外胥告, 愴忻交切, 伏念臣之猥叨史局摠裁之任, 今二旬餘矣。竊惟宋朝臣眞德秀監修國史時, 辭免以爲, 古之良史, 其明足以周萬事之理, 其道足以適天下之用, 其志足以通難知之意, 其文足以發難顯之情, 然後其任可得以稱, 夫以眞德秀之宿德耆儒, 而於是任也, 猶此逡廵不居, 其所論說如此, 則職事之綦重, 非臣淺陋所可一日冒處, 而惟是義重終事, 分當自效, 所以含默蹲仍, 不敢爲辭巽計也。第臣素患腹熱, 近益添苦, 兼以頑積闖肆, 有時頭目暈眩, 神精昏瞀, 閒謾書字, 纔閱旋忘, 首尾顚錯, 要領未會, 顧欲强策趨簉, 尋數點檢, 其勢亦末由也已, 玆敢冒悚控實。伏乞聖明, 仰稟東朝, 將臣所有摠裁之銜, 劃卽變通, 俾便公私焉。且臣所帶閟官掌樂禁衛提擧, 或有所難便, 亦不可虛縻, 竝賜遞改, 千萬幸甚, 取進止。答曰, 省箚具悉卿懇。愼節奉慮, 所辭諸任, 禁營提擧之外, 竝爲許副, 卿其安心調理。仍傳曰, 此批答, 遣史官傳諭。

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