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승정원일기 128책 (탈초본 2706책) 고종 3년 9월 11일 정묘 20/41 기사 1866년  同治(淸/穆宗) 5년

    鄭雲龜, 以畿輔巡撫營言啓曰, 卽見先鋒中軍李容熙, 今月初十日戌時, 成貼馳報, 則大陣當日申時量, 行到通津陽陵橋, 則該府使李公濂, 囊齎印符, 單身來待, 具道事狀曰, 昨日午時量, 洋賊五十餘名, 各持銃劍, 突入邑村, 掠奪民財, 牛畜衣服, 了無餘存, 轉入官舍, 公私錢六七百兩, 沒數持去, 至於官服諸具, 亦皆無遺, 而官隷則吏屬俱逃, 閭閻則男女全空, 至於外村民人, 莫不聞風逃散, 府使則隻身孤立, 不宜坐受殺害之患, 故不得已徒步登山, 暫避經夜於五六里外民家, 今纔來此云云。故聞甚驚憤, 爲先急發數校, 使之微服先行, 詳察前路左右, 以探賊情之虛實伏兵之有無, 又發數校先行, 自左右村落, 以至邑底, 而使之以安心還巢之意, 逢人輒諭, 大陣仍卽前進, 酉時量, 到該府前街, 結成方陣, 以待機變, 而大軍旣到, 衆情咸悅, 三三五五, 民皆稍集, 其中有一二民, 來告曰, 昨日洋賊, 自邑村, 轉上文殊山城, 或上或下, 若有據險之意云, 故問其遠近, 則距邑爲十里許, 而行將飼馬饋卒, 一以盡防患之策, 一以盡制變之方云矣, 敢啓。傳曰, 知道。

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