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승정원일기 128책 (탈초본 2706책) 고종 3년 9월 11일 정묘 41/41 기사 1866년  同治(淸/穆宗) 5년

    ○ 丙寅九月十一日申時, 上御誠正閣。召對入侍時, 參贊官趙性敎, 檢校待敎徐相翊, 檢討官李裕承, 假注書金秉鍵, 記事官KC10595·金性均, 各持通鑑第二卷, 以次伏訖。上曰, 史官分左右。上開卷。仍命授書算于裕承。上讀自今雖亡參等百數, 止有太子曰冒頓, 仍讀十遍訖。裕承還納書算。上曰, 玉堂讀之。裕承讀奏訖, 上曰, 釋義。裕承釋義訖。上曰, 文義奏之。裕承曰, 蕭何之功, 不但保全關中而已, 入之初, 先收圖籍, 項羽背約, 勸王·, 薦韓信建大策, 還定三秦, 以至得天下者, 此皆曹參輩所無之功也。夫攻城略地, 其功顯耀於一時, 而其效不遠, 若蕭何則密勿贊襄, 雖無赫赫可觀者, 規模宏遠, 以基漢家靈長之業, 鄂千秋所謂萬世之功, 儘明言也。上曰, 贊贊官[參贊官]讀之。性敎讀奏訖, 上曰, 文義奏之。性敎曰, 人之才品, 有智力之分, 智謀之人, 運籌決策, 收功可大, 勇力之人被堅執銳, 所長止此, 楚漢之際, 習見惟在於攻殺, 未始不爲一時之快, 然而殊不及從容坐算, 克定萬世之大勳, 是知·之品, 亦智力之別也, 而功利之久近, 如彼其判焉, 苟無生, 何以明其功, 亦非高皇, 豈能納其言也? 此誠創垂之初, 一大美事耳。上曰, 閣臣讀之。相翊讀奏訖, 上曰, 文義奏之。相翊曰, 昔秦皇之巡狩北邊, 發兵而鈔略之, 築城而捍禦之, 十餘年間, 不敢窺兵於中原者, 蒙恬之威振, 式至于此時矣。冒頓之休養兵甲, 復稍南渡, 侵擾邊境, 而將帥之才, 苟得如蒙恬, 則不足憂矣。上掩卷, 仍命史官就座。又命退, 諸臣以次退出。

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