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승정원일기 128책 (탈초본 2706책) 고종 3년 9월 19일 기해[을해] 46/49 기사 1866년  同治(淸/穆宗) 5년

    ○ 同知申應朝疏曰, 伏以, 臣至愚極陋, 前後揚歷, 罔非踰濫, 循分匪稱, 每切兢惕, 千萬不自意, 除書有隕, 以臣爲藝文提學, 臣聞命惝怳, 莫省攸措。噫, 文學之任, 自古非輕, 而夫是職也, 潤色辭命, 則發揮睿藻, 黼黻王猷, 則鋪張盛美, 演綸播告, 動臧否, 苟非淹貫之識, 敏妙之思, 爲一時之所推詡, 則莫宜居之, 故遴選之嚴, 最稱難愼, 何嘗有如臣愚昧, 亦得以濫廁於其間哉? 臣素無文學, 才識闇劣, 述性硬澁, 路逕不開, 加之以疾病衰朽, 神思凋落, 或有撰綴文字, 塗改滿紙, 而竟不能以有成, 非徒臣自視羞赧, 人亦未嘗謂臣有觚墨之末技, 至於駢儷之文, 尤非素嫺, 藝苑之用, 惟此是需, 而短拙無當又如此, 臣雖欲冒昧膺命, 爲一身之榮觀, 其於貽累聖簡, 而爲士林所笑, 何哉? 況玆特除, 恩出格外, 有非賤分之所敢安, 而聖朝官人之政, 又不宜若是輕褻, 則臣竊爲聖明惜此擧也。人有長短, 皆不可强, 而惟文爲甚, 則是任之非臣所宜, 夫人皆知之, 而責臣以誕宣鴻猷, 賁飾晠化, 裨補聖朝聲明文物之盛, 事理之所必無, 而誤恩至此, 臣誠莫知其所以也。矧今南殿酌獻, 撰祝有命, 庚牌儼臨, 促臣出膺, 悸慓踧踖, 進退皆窮, 玆將疾聲之呼, 仰瀆崇嚴之下, 欲望聖慈, 念是職之不宜輕授, 察臣言之非出飾讓, 將臣新授職名, 亟許遞免, 以重名器, 以安私分, 不勝幸甚。臣無任云云。答曰, 省疏具悉。卿其勿辭行公。

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