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승정원일기 128책 (탈초본 2717책) 고종 4년 8월 3일 계미 8/12 기사 1867년  同治(淸/穆宗) 6년

    ○ 刑曹啓曰, 宣惠廳啓辭內, 莫嚴者漕轉也, 法意本自綦重, 程限不可踰越。況今年先事朝飭, 何等申嚴, 而嶺南後漕倉諸船, 尙未到泊? 晩時之拕至仲秋, 殆前所未有也。値此別飭之年, 如是稽緩者, 苟有一分紀綱, 寧至於斯乎? 且春夏以來, 幸無烈風暴雨, 諸道漕私船, 無不利泊, 惟後漕倉船臭載, 至於三隻之多, 其中路逗留, 多少作奸, 昭不可掩。該差使員之爲沙格輩所牽制, 任其行止, 不念董率之義, 不可無勘。待來泊竣事後, 領運差使員薺浦萬戶金寅爀, 令該府拿問嚴勘, 都沙工押送秋曹, 嚴加鉤覈, 期於得情。至於發船日字, 道啓則以三月初九日開錄, 而及見兩湖道臣致敗啓本中諸船人納供, 則或云四月初二日裝發, 或云四月十三日裝發, 必因邑報之爽實, 以致道啓之差誤。捧稅差使員密陽府使兪致長, 一體拿勘, 發船日字之緣何相左, 關問該道道臣, 使之詳査啓聞, 何如? 傳曰, 允。捧稅差使員, 拿問置之事, 命下矣。都沙工待竣事, 押送臣曹後, 嚴覈擧行之意, 敢啓。傳曰, 知道。

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