○ 判中樞府事臣洪淳穆箚曰, 伏以設鞫有令, 仍命臣按治之, 其在輿討之義, 固當竭蹷之不暇, 而按獄, 大政也, 政府主管, 自是不易之典, 而縱或有原任替當, 無過一時權宜之政, 今乃遂以爲例, 凡遇此事, 輒奉是命, 雖其怵迫嚴急, 黽勉冒當, 然金石典式, 緣臣毁壞, 已不啻惶隘于中, 揆以公格, 事體寧容若是之苟簡乎? 矧臣至苦之病狀, 便一床簀間物也, 患泄旣久, 眞元虛脫, 痞懣而胃阻却食, 眩暈而汗流如漿, 恒自昏頹不省, 種種乖敗之證, 有未敢煩溷, 而蓋人之所以作爲發用, 卽惟曰氣與神而已, 氣之不能接續, 神之無可抖擻, 其何以盤覈折服, 成輸之有孚乎? 若臣賤疾爲困, 顧不足恤, 莫嚴治獄之節, 倘或因是而顚錯, 厥罪何居? 常式之違越, 病勢之沈苦, 已惶齎悶, 靡所因極, 玆敢暴實冒籲, 伏望聖慈, 俯垂矜憐, 將臣委官之任, 劃賜變通, 俾鞫體完而殘喘延, 不勝幸甚。 取進止。 答曰, 省箚具悉卿懇。 愼節奉慮, 而鞫事亦係不輕, 卿其諒之, 至若原任之委官, 多有已例, 亦爲諒之。 仍傳于兪晩源曰, 此批答, 遣史官傳諭。