검색
부수로 검색:
부수 획수:
부수 목록:
나머지획수:
음가로 검색:
음가:
검색:
승정원일기 132책 (탈초본 2870책) 고종 16년 12월 10일 기유 12/16 기사 1879년  光緖(淸/德宗) 5년

    張時杓, 以議政府言啓曰, 卽見忠淸監司李明應狀啓, 則枚擧庇仁縣監洪用周牒呈及京譯官李應浚手本, 以爲內多浦漂人七名, 詳細問情, 則乃是大淸國人之行商漂到者, 而彼旣知旱路之便而惜其棄船, 又怕日寒, 而留待二月云者, 萬萬不可。 故稍俟風順日解, 使卽回船, 而衣服製給, 有難擅許, 更待處分擧行爲辭矣。 彼人之商船漂着, 旣無可疑, 則還歸之由水由陸, 宜從其願, 而若由陸則惜其船隻之棄寘, 若由水則怕其日候之寒沍, 然而開春回去云云, 似是怯於風濤而然也。 所着衣袴, 斯速製給, 所傷船械, 亦爲改葺, 留住間供饋禁KC03022等節, 各別操飭, 而第俟天氣稍暄, 令舌譯消詳開諭後, 善爲指送事, 分付道帥臣處, 待還發狀聞, 令槐院具由撰咨入送, 何如? 傳曰, 允。

    [ PC버전 ]