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승정원일기 135책 (탈초본 2947책) 고종 23년 4월 20일 계미 17/32 기사 1886년  光緖(淸/德宗) 12년

    ○ 又以議政府言啓曰, 卽見慶尙前左水使金寅浩啓本, 則以爲本營虞候, 共駐一城之內, 凡係邊情軍務, 緩急有恃, 且其軍伍器械, 足可爲邊圉陰雨之備矣。 本營之距影島, 由陸涉海, 爲兩舍之地, 今若移駐影島, 則該營未移之百餘名軍卒, 將無依毗之望, 影島合附多大, 則本島軍民, 全沒賴活, 將至渙散, 實係兩難, 別置一將於影島, 然後可無偏廢之患, 而本營處在關防要衝, 不虞備禦, 惟軍校是耳, 積仕久勤, 現無奬拔之擧, 以慣俗嫻務者, 擇寘該島事, 請令廟堂稟處矣。 虞候許令移駐, 爲念影島曠抛而然, 而今觀帥臣陳啓, 果不無多少窒礙之端, 從玆以往, 作爲別將窠, 先以本營軍校中, 另擇差送, 俾圖安民固圉之策, 而嗣後則依新式京鄕久勤間窠, 擬差之意, 分付銓曹及該帥臣, 何如? 傳曰, 允。

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