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승정원일기 141책 (탈초본 3185책) 고종 42년 7월 22일 계사 4/6 기사 1905년  光緖(淸/德宗) 31년

    ○ 法部大臣朴容大辭職疏曰, 伏以臣於本月二十日, 伏奉詔勅, 以臣爲法部大臣者, 臣聞命震惕, 歷日靡屆也。 自古在昔聖帝明王之用人也, 雖於庶官, 必曰其難其愼, 顧此職, 是何等職也, 臣是何樣人也, 而擧而畀之, 不少留難乎? 臣策名立朝, 垂四十年矣。 門地寒素, 才識淺短, 擔重致遠, 夢想不到, 遭遇盛際, 夤緣倖會, 空空陸陸, 躋崇秩而曾未有一謨猷一功能之可紀, 究竟是低徊戀祿之一無聞者耳。 此非但淵鑑之莫逃, 亦同朝之所共知者也。 以此本末, 裒然稱之曰, 司法之長, 發慮獻贊, 燮理於論道經邦之列, 則譬如鈍蒙受學, 讀其所未讀, 天下寧有是耶? 負乘致災, 縱不足恤, 上累則哲, 下招物議, 終無補於民國而止矣。 豈不大可懼哉? 參倚已熟, 冒膺無望。 玆敢刳瀝腎腸, 仰首鳴呼。 伏乞皇上, 特垂曲遂之澤, 亟遞臣新授之職, 俾重任無瘝, 微諒獲全焉云云。 批旨, 省疏具悉卿懇。 有玆特簡, 必不見許, 卿其勿辭, 卽爲行公事, 遣部郞宣諭。

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