검색
입력 내용 삭제
문자입력기
검색
부수검색
음가검색
부수로 검색:
부수 획수:
부수 목록:
나머지획수:
음가로 검색:
음가:
검색:
검색
열 람
승정원일기
정보화사업
승정원마당
왕 대
책별
조직과 기능
연혁
작성방식
사료적가치
기록유산
개 요
범 례
공지 사항
인조 - 고종
16대 인조(1623년~)
17대 효종(1649년~)
18대 현종(1659년~)
19대 숙종(1674년~)
20대 경종(1720년~)
21대 영조(1724년~)
22대 정조(1776년~)
23대 순조(1800년~)
24대 헌종(1834년~)
25대 철종(1849년~)
26대 고종(1863년~)
27대 순종(1907년~)
순조 5년
1805년 (을축)
1월
2월
3월
4월
5월
6월
윤6월
7월
8월
9월
10월
11월
12월
승정원일기 100책(탈초본 1897책) 순조 5년 7월 21일 신미
1805년 嘉慶(淸/仁宗) 10년
1일
2일
3일
4일
5일
6일
7일
8일
9일
10일
11일
12일
13일
14일
15일
16일
17일
18일
19일
20일
21일
22일
23일
24일
25일
26일
27일
28일
29일
30일
晴
行都承旨
李始源
病
。 左承旨
金宗善
坐直
。 右承旨
李文會
坐
。 左副承旨 未差。 右副承旨
金會淵
坐直
。 同副承旨 未差。 注書 二員未差。 假注書
李潞
照訖講進
兪應煥
仕直
。 事變假注書
任弘植
仕
。
昌德宮에 머묾. 常參과 經筵을 정지함
○ 上在
昌德宮
。停常參·經筵。
○ 上在
昌德宮
。停常參·經筵。
25일 朝參日次를 여쭙는 李文會의 啓
○
李文會
啓曰, 來二十五日朝參日次矣, 敢稟。 傳曰, 停。
○
李文會
啓曰, 來二十五日朝參日次矣, 敢稟。 傳曰, 停。
○
金會淵
啓曰, 合辭方張之時, 兩司無詣臺之員, 事甚未安, 除在外外, 未肅拜·呈告人員, 竝卽牌招, 何如? 傳曰, 允。
○
金會淵
啓曰, 合辭方張之時, 兩司無詣臺之員, 事甚未安, 除在外外, 未肅拜·呈告人員, 竝卽牌招, 何如? 傳曰, 允。
○ 傳于
金宗善
曰, 禮房承旨, 進詣
皇壇
奉審,
宣武祠
一體奉審以來。
○ 傳于
金宗善
曰, 禮房承旨, 進詣
皇壇
奉審,
宣武祠
一體奉審以來。
○ 傳于
金宗善
曰, 今日晝茶禮, 當親行, 該房知悉。
○ 傳于
金宗善
曰, 今日晝茶禮, 當親行, 該房知悉。
○
李文會
啓曰, 今此
元陵
幸行時, 何大臣留都乎? 敢稟。 傳曰, 右議政留都。
○
李文會
啓曰, 今此
元陵
幸行時, 何大臣留都乎? 敢稟。 傳曰, 右議政留都。
○ 傳于
金宗善
曰, 向日長單之封還, 可知予必不捨卿之意, 卿必諒之矣。 在今弘濟之策, 惟有左相, 而卿如輔車之相須, 卿忽無端求退, 則予誰與爲國, 左相亦與誰協贊乎? 昨日閟宮之駕, 班無大臣, 其果成說乎? 謁陵有期, 留都有命, 且賓筵久未爲之, 卿其卽起視事事, 遣史官傳諭于右議政。
○ 傳于
金宗善
曰, 向日長單之封還, 可知予必不捨卿之意, 卿必諒之矣。 在今弘濟之策, 惟有左相, 而卿如輔車之相須, 卿忽無端求退, 則予誰與爲國, 左相亦與誰協贊乎? 昨日閟宮之駕, 班無大臣, 其果成說乎? 謁陵有期, 留都有命, 且賓筵久未爲之, 卿其卽起視事事, 遣史官傳諭于右議政。
○ 傳于
金會淵
曰, 坐直承旨入侍。
○ 傳于
金會淵
曰, 坐直承旨入侍。
○ 傳于
金會淵
曰, 召對爲之。
○ 傳于
金會淵
曰, 召對爲之。
○ 傳于
金會淵
曰, 坐直承旨, 推考房承旨入侍。
○ 傳于
金會淵
曰, 坐直承旨, 推考房承旨入侍。
監察茶時를 한다는 金會淵의 啓
○
金會淵
啓曰, 行大司憲
李直輔
, 執義
宋稚圭
, 掌令
李重蓮
在外,
具得魯
疏批未下, 持平
黃明漢
·
尹致永
牌不進, 監察茶時之意, 敢啓。 傳曰, 知道。
○
金會淵
啓曰, 行大司憲
李直輔
, 執義
宋稚圭
, 掌令
李重蓮
在外,
具得魯
疏批未下, 持平
黃明漢
·
尹致永
牌不進, 監察...
○ 以大司諫
曺允遂
, 獻納
奇學敬
, 正言
鄭淳民
, 持平
黃明漢
·
尹致永
牌不進罷職傳旨, 傳于
金會淵
曰, 推考, 傳旨捧入。
○ 以大司諫
曺允遂
, 獻納
奇學敬
, 正言
鄭淳民
, 持平
黃明漢
·
尹致永
牌不進罷職傳旨, 傳于
金會淵
曰, 推考, 傳旨捧入。
○
金宗善
, 以吏曹言啓曰, 新除授
公忠道
都事
韓兢履
呈狀內, 矣身九耋祖母, 素患痰癖之症, 挾感添劇, 食飮全却, 氣息凜綴, 萬無暫時離捨之勢, 卽速入啓遞改云,
韓兢履
之承重親病, 旣如是沈重, 則有難强令赴任, 改差, 何如? 傳曰, 允。
○
金宗善
, 以吏曹言啓曰, 新除授
公忠道
都事
韓兢履
呈狀內, 矣身九耋祖母, 素患痰癖之症, 挾感添劇, 食飮全却, 氣息凜綴, 萬無暫時離捨之勢, 卽速入啓遞改云,
韓兢履
之承重親病, 旣如是沈重, 則有難强令赴任, 改差, 何如? 傳曰, 允。
○
金宗善
, 以內醫院提調意啓曰, 自前幸行時, 若是經宿之地, 則陪從掌務官一員, 例自司僕寺, 補把馬一匹許給矣。 今番幸行時, 依例許給之意, 分付該寺, 何如? 傳曰, 允。
○
金宗善
, 以內醫院提調意啓曰, 自前幸行時, 若是經宿之地, 則陪從掌務官一員, 例自司僕寺, 補把馬一匹許給矣。 今番幸行時, 依例許給之意, 分付該寺, 何如? 傳曰, 允。
○
李文會
, 以兵曹言啓曰, 宣傳官
徐春輔
, 身病猝重, 內禁衛將
朴應浩
, 母病沈重, 俱以勢難供職, 呈狀乞遞, 竝改差, 何如? 傳曰, 允。
○
李文會
, 以兵曹言啓曰, 宣傳官
徐春輔
, 身病猝重, 內禁衛將
朴應浩
, 母病沈重, 俱以勢難供職, 呈狀乞遞, 竝改差, 何如? 傳曰, 允。
○ 右參贊
李義弼
疏曰, 伏以, 臣衰病無堪, 宜退已久, 而黽勉强策, 低佪至今者, 誠以前後恩造, 一未報答, 故未死之前, 不忍便訣, 然孤弱之植, 去益自危, 狷滯之性, 老猶難化, 畢竟顚沛, 分所自期, 果於月前, 忽因至微之事, 見忤大僚, 其所論罪, 旨意深緊, 而聖度包容, 不置大何, 薄罷旋敍, 恩除遽降, 召牌又臨, 臣誠驚惶感激, 罔知攸措, 在臣義分, 固當竭蹶, 況當閟宮展謁之時, 尤豈敢爲逡巡之計哉? 第臣被斥於大僚者, 事端雖甚微細, 擧措旣至張大, 則臣不可視以橫逆, 恬不知愧, 處於䵝䵢, 終不一暴, 故玆敢不避猥越, 略陳梗槪, 惟聖明垂察焉, 臣自昨年二月, 待罪司圃署提擧之任, 而本署以供上衙門, 官用不贍, 各項所需, 多靠於三四處屯稅, 而收納之人, 不無沾漑, 故員役輩, 始則輪差, 今則轉賣, 乃有導掌之稱, 然導掌亦員役, 故其所捧納, 皆有恒式, 無弊遵行, 設有小小痛痒, 惟知呼訴於本署, 不敢圖囑於上司, 今年則他屯如例畢納, 而惟
咸平
導掌元稅二百三十石零內, 只納六十石零, 無端頑拒, 徘徊顧望, 忽自備局, 出牌該吏備郞分付曰,
咸平
穀何以濫捧? 後若如此, 必當刑配云, 此乃該署所捧, 元非備局所管, 則設若眞有濫觴之弊, 大臣或可申飭堂郞, 不宜兼察細務, 而初不一問於提調, 猝然行査於備局者, 非但自歸損體, 抑必有意督過, 故臣遂引義, 惟供上擧行外, 本署事一不可否, 其後習儀日, 大臣謂臣曰, 所親門下人, 有言
咸平
穀濫捧, 故使備郞査實, 則果如所聞, 須申飭善捧云, 故臣始知有導掌輩之作俑, 答以此是該署屯穀, 本非上司句管, 而若以該署之濫捧, 至煩上司之行査, 則爲其提調者, 固當引遞, 何論捧穀云爾, 則大臣不悅, 屢言過矣, 而臣終不聽從, 伊後貶坐, 大臣又以溫言, 私托捧穀之事, 而臣以事係廉防, 不可强從爲答, 則大臣作色曰, 吾居蕫率之地, 此等事不可爲乎, 如欲求遞, 則其將陳疏乎? 臣曰, 如此瑣屑之事, 不可上煩天聽, 廟堂何不論罪也? 大臣怫然曰, 必欲如是, 行將如是云, 惟此前後酬酢, 皆在公座, 臣焉敢誣也? 其後備郞, 又發牌該郞, 詰問捧穀遲滯之由, 而仍卽草記, 本事顚末, 止於如斯矣。 蓋此不過一導掌數石穀利害, 而大臣看作大事, 過費心力, 以至於據公體而行査, 以私語而申托, 而臣未曲從, 竟致葛藤, 自訟不敏, 然員役之藉勢力而傾陷提調, 已是變怪, 大臣之以顔私而不惜事體, 恐非所宜, 而又其草記, 語多訝惑, 本穀旣非外邑所納之王稅, 乃是該署所捧之屯穀, 則猶可謂之上納, 而元稅二百三十石零內, 所捧不過六十石零, 斛縮未滿四石, 則亦可謂之濫捧之數, 幾爲元稅之半乎? 此臣所以訝惑也。 且其結語曰, 不可一向曲恕, 未知臣從前有何難恕之罪, 大臣有何曲恕之事而云然耶? 誠莫曉其所以也。 臣雖無似, 猥被誤恩, 亦廁列卿, 果若有罪, 則大臣惟當就事論列, 以致其罪, 不宜過加辭氣, 若是蹈藉也。 然此莫非臣行己無素, 受侮不小, 以至於斯也。 滄浪之取, 更誰怨尤? 念臣亦已年迫七旬, 病纏二豎, 死亡無日, 則漏已盡矣, 鍾且鳴矣。 殘骸朽殻, 有何餘戀, 猶復倀倀於冥墑之途, 而不知所止也哉? 今臣自靖之義, 惟有退處邱壑, 以沒餘齒, 思所以全保身名, 歌詠聖澤而已。 見職去就, 初無可論, 玆將疾痛之呼, 仰籲仁覆之下。 伏乞天地父母, 先治臣膠守微執, 至忤大僚, 猥以微諒, 妄瀆崇聽之罪, 且憐臣癃老無用之狀, 特令刋去朝籍, 逬退田里, 以卒生成之澤, 千萬幸甚, 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 本事旣如是, 則在卿何有? 至若遣辭之際, 不審處多, 不可無警, 從重推考, 勿辭行公。
○ 右參贊
李義弼
疏曰, 伏以, 臣衰病無堪, 宜退已久, 而黽勉强策, 低佪至今者, 誠以前後恩造, 一未報答, 故未死之前, 不忍便訣, 然孤弱之植, 去益自危, 狷滯之性, 老猶難化, 畢竟顚沛, 分所自期, 果於月前, 忽因至微之事, 見忤大僚, 其所論罪, 旨意深緊, 而聖度包容, 不置大何, 薄罷旋敍, 恩除遽降, 召牌又臨, 臣誠驚惶感激, 罔知攸措, 在臣義分, 固當竭蹶, 況當閟宮展謁之時, 尤豈敢爲逡巡之計哉? 第臣被斥於大僚者, 事端雖甚微細, 擧措旣至張大, 則臣不可視以橫逆, 恬不知愧, 處於䵝䵢, 終不一暴, 故玆敢不避猥越, 略陳梗槪, 惟聖明垂察焉, 臣自昨年二月, 待罪司圃署提擧之任, 而本署以供上衙門, 官用不贍, 各項所需, 多靠於三四處屯稅, 而收納之人, 不無沾漑, 故員役輩, 始則輪差, 今則轉賣, 乃有導掌之稱, 然導掌亦員役, 故其所捧納, 皆有恒式, 無弊遵行, 設有小小痛痒, 惟知呼訴於本署, 不敢圖囑於上司, 今...
○ 刑曹判書
徐榮輔
疏曰, 伏以, 臣情病俱苦, 委頓田廬, 冒上縣道之章, 仰控閔覆之天, 及承批旨, 大失所圖, 臣於伏枕呻囈之中, 悶蹙惶阨, 如添一病, 臣之目下引義, 是豈可已而不已也哉? 誠以廉防至重, 瘝曠爲懼, 參倚揣量, 惟有一遞, 夫然後公而賢路不妨, 私而微分獲安, 今若謂一疏之伸義, 而揚揚冒出, 是誠何如人哉? 且臣伏聞本曹罪人
李慶郁
結案啓目判付有減死刑推絶島爲奴之命, 臣雖愚昧, 豈不知天地好生之大德也哉? 第念古昔聖王, 制爲刑辟, 夫豈有歉於仁愛而然也? 有罪犯罔赦, 必斷之以死, 刑一人而天下懲, 故曰生道殺人, 曰刑期于無刑, 皆是物也。 不如是, 民心無所懲畏, 小人輕於犯法, 其弊也, 終至於莫可收拾, 則此非所以愛惜人命也。 可不懼哉?
慶郁
雖曰卑賤, 係是掖隷, 乃其所犯情節, 至凶絶悖, 實前古所未有之大變怪耳。 雖臣曹議律, 拘於法文, 論以待時, 而究其情犯, 決不可晷刻容貸。 故臣於賓筵, 仰請下詢大臣出付軍門, 而大臣亦以臣言爲是, 仰陳其可從, 然則此非臣一人之言, 卽亦廷議之所同, 今殿下, 不從大臣與法官之言, 竟施次律, 將使國綱不振, 頑俗無懲, 非細故也。 古人有言曰, 求生於必死, 是求其可生而蘄其得之之謂也, 未嘗曰活之於必死也。
書
曰, 罪疑惟輕, 惟其疑也, 是以從輕, 如其無疑, 寧容屈法, 伏願聖上, 穆然深思, 收還判付, 亟從臣筵奏施行, 不勝幸甚, 臣以情以病, 義在必辭, 造次食息, 心口相語, 惟願速得鞶禠, 安意調病, 玆因執藝之義, 兼暴至切之懇, 伏惟聖上天地父母, 曲賜哀憐, 俯循微願, 臣雖死之日, 猶生之年也, 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。
李慶郁
事, 向來雖聞卿所奏, 予則猶爲其死不可復生, 而不忍執法之說, 旣如是勤摯, 可不從施? 所辭太無義, 卿其勿辭, 卽爲上來。
○ 刑曹判書
徐榮輔
疏曰, 伏以, 臣情病俱苦, 委頓田廬, 冒上縣道之章, 仰控閔覆之天, 及承批旨, 大失所圖, 臣於伏枕呻囈之中, 悶蹙惶阨, 如添一病, 臣之目下引義, 是豈可已而不已也哉? 誠以廉防至重, 瘝曠爲懼, 參倚揣量, 惟有一遞, 夫然後公而賢路不妨, 私而微分獲安, 今若謂一疏之伸義, 而揚揚冒出, 是誠何如人哉? 且臣伏聞本曹罪人
李慶郁
結案啓目判付有減死刑推絶島爲奴之命, 臣雖愚昧, 豈不知天地好生之大德也哉? 第念古昔聖王, 制爲刑辟, 夫豈有歉於仁愛而然也? 有罪犯罔赦, 必斷之以死, 刑一人而天下懲, 故曰生道殺人, 曰刑期于無刑, 皆是物也。 不如是, 民心無所懲畏, 小人輕於犯法, 其弊也, 終至於莫可收拾, 則此非所以愛惜人命也。 可不懼哉? ...
○ 刑曹參判
李肇源
, 參議
元在明
等疏曰, 伏以, 臣等於詞訟重任, 豈有堪承之望, 而始焉辭不獲命, 繼又致勤飭敎, 義重叩謝, 懼深瀆撓, 不得不黽勉出肅, 冒赴於卯酉之坐, 參聞於議讞之末者, 亦旣一再遭矣。 日前賓對, 憲臣筵奏以生民之受苦, 歸之於法官之失擇, 雖其言泛及流弊, 別無指斥者, 而臣等俱以無似, 苟然充位, 不能事事, 則豈無反躬自瞿之心乎? 情地難安, 病又難强, 而辭單未徹, 曹務久曠, 日夕悚懍, 惟譴何是竢, 卽伏見罪人
李慶郁
結案啓目判下者, 有嚴刑爲奴之命, 而仍令次堂擧行, 臣等竊以爲不然也。 夫
慶郁
所犯情節, 至爲凶悖, 有不可一刻容貸於覆載之間, 待時之刑, 猶且失之於輕, 況可擬議於減等之律, 有若尋常罪囚之勘斷者然哉? 夫刑賞者, 卽人君馭世之大柄也。 其所以賞之刑之者, 非人君之私喜怒也, 卽與國人共之也。 故雖以人主之尊, 而不得與焉。 古所謂官人於朝, 刑人於市者, 良以是也。 一或有低昻於其間, 則是國之刑政, 將爲無用之具, 而獰頑之徒, 無所懲畏矣。 今縱以好生之德, 遽有此次律之酌處, 而臣等之所守者, 關和之至重也, 所惜者, 王章之或失也。 向者本曹判書臣
徐榮輔
, 以軍門梟示之律仰請者, 誠爲得當, 此非但臣等之言, 抑亦輿論之所同然, 此而若不施當律, 遽從惟輕, 則日後無窮之慮, 姑無論已, 屈三尺之嚴而招四方之惑, 非細憂也。 玆敢聯陳短章, 仰瀆崇嚴。 伏乞聖慈, 亟寢成命, 快正典刑, 使國法伸而綱紀肅焉。 仍命刋改臣等所帶之職, 兼治臣等逋慢之罪, 得以公務無曠, 私分獲安, 千萬幸甚, 臣等無任云云。 答曰, 省疏具悉。 已諭於秋判之批矣。
○ 刑曹參判
李肇源
, 參議
元在明
等疏曰, 伏以, 臣等於詞訟重任, 豈有堪承之望, 而始焉辭不獲命, 繼又致勤飭敎, 義重叩謝, 懼深瀆撓, 不得不黽勉出肅, 冒赴於卯酉之坐, 參聞於議讞之末者, 亦旣一再遭矣。 日前賓對, 憲臣筵奏以生民之受苦, 歸之於法官之失擇, 雖其言泛及流弊, 別無指斥者, 而臣等俱以無似, 苟然充位, 不能事事, 則豈無反躬自瞿之心乎? 情地難安, 病又難强, 而辭單未徹, 曹務久曠, 日夕悚懍, 惟譴何是竢, 卽伏見罪人
李慶郁
結案啓目判下者, 有嚴刑爲奴之命, 而仍令次堂擧行, 臣等竊以爲不然也。 夫...
○ 兵曹參議
李羲甲
疏曰, 伏以, 皇穹不弔, 我大行大王大妃殿下, 奄棄臣民, 光陰迅駛, 晦朔推敓, 山陵已封, 虞卒且畢, 伏惟聖慕皇皇, 靡所逮及, 攀號罔極, 何以堪抑? 天道流行, 繼之以吉祥, 聖痘自初平順, 玉候不日康復, 上告下布, 次第誕擧, 億萬年無彊之休, 實自今始, 歡欣慶忭, 愈久愈切, 仍伏念臣宜死不死, 茹冤含慟, 六年于玆, 而轉眄之頃, 臣父之墓草已宿矣。 臣爲臣不忠, 爲子不孝, 茫茫穹壤, 泣血自悼, 喘息苟存, 淹延時日者, 亦云冥且頑, 而木石之不若也。 噫, 人臣遭罹之罔測, 從古何限, 而豈有如臣年前所被之至潛毒至醜辱者哉? 緣臣無狀, 上累先朝則哲之明, 下貽私門不湔之羞, 冤憤塡胸, 旣一暴之無階, 垢穢滿身, 非三薰之可洗, 具此形氣, 得此題目, 苟有一分血性, 則惟當剚腹自明, 卽地溘然, 而臣冥若無知, 腐心痛骨, 恤恤焉倀倀焉式至于今者, 誠以本事關係, 非止自已, 未及伸暴之前, 生當不齒於人, 死爲不暝之鬼, 此臣所以淟涊偸生, 尙有冀於覆盆之照也。 噫, 言者之論臣, 以臣父之歷典四藩, 謂臣據京潛圖, 是何言也, 是何言也? 臣父立朝三十餘年, 前後踐歷, 自有本末, 積淹三司, 節次推遷, 未嘗先人而上人, 一資半級, 皆從造化生成中來, 苟非特授, 卽因久次至於藩任之歷試, 始以平日特達之知, 謂有三輔已著之績, 授以方面之重, 而臣父受任兢惕, 幸不獲罪於吏民, 則恩褒屢及, 聖眷愈摯, 八九年間, 次第委寄, 罔非心簡, 彼言者, 亦豈不見人所見, 知人所知, 而其所爲言, 至於此極者, 特以在臣父, 無指的之疵, 故借臣身爲擠陷之階, 一筆而句勘人父子, 無復餘地, 思之駴怖, 言之汚衊, 抑臣別有所憤惋急痛者。 噫, 太淸高高, 而浮雲點綴, 古之人, 有正色而斥之者, 誠以天蓋高而非雲之所得翳也。 臣父遭遇先朝, 受知先朝, 內而金緋, 外而藩臬, 俱是特簡, 而反謂臣潛售而暗圖, 隱然歸之於欺天而得之者然。 彼雖急於構人, 必欲甘心, 而獨不念浮雲點綴之戒耶? 若夫綢繆陰附之目, 旣無指的之證, 而只以混圇說話, 爲構勒人誣衊人之一副圈套, 其曰綢繆, 所綢繆者何事, 其曰陰附, 所陰附者何人? 設意則陰晦䵝昧, 下語則恍惚慌亂, 雖欲與之呶呶, 而誠莫省爲之辭矣。 噫, 臣之闔門, 厚被先大王恩造, 高天厚地, 不足爲喩, 恩山德海, 欲報無地, 而臣又夙荷拂拭庇覆之眷, 濫躋下大夫之列, 周旋邇班, 亦有年所, 頂踵都歸洪造, 絲毫罔非帝力, 生生世世, 蹈赴是期, 且臣之所得於家庭而平日所佩持者, 卽是畏拙謹愼四字而已。 今臣所遭, 一切反是, 忽然爲天下之僇人, 而貽辱於臣父, 貽累於聖簡, 萬事瓦裂, 餘生甑破, 俯昻跼蹐, 此何人斯, 苟如言者之言, 則論其負犯, 金木猶輕, 而獨賴我殿下, 偏垂覆燾, 洞加照燭, 善地薄竄, 匪譴伊恩, 曾未幾何, 全宥之疏滌之, 臣得與臣父, 屛伏鄕廬, 感戴洪私, 沒齒田間, 分所自甘, 而緣臣愆殃山積, 獲戾神明, 寸草之心未報, 風樹之慟遽纏, 悠悠千古, 長結幽明之冤矣, 頃年知申特除, 適下於臣父疾革之時, 臣之父子, 便已出墨池而登雪嶺矣。 臣父力疾治疏, 擬暴叩謝之忱, 兼伸悲切之懇, 而臨歿一言, 未徹宸琉, 零落遺草, 尙在塵篋, 不惟臣父長逝之魂, 齎恨於冥冥, 顧臣切骨之慟, 其何忍一日寄息於地上哉? 然而叫天無聞, 絶嚥不得, 一縷苟延, 三霜已闋, 天地雖大, 而若窮人之無歸, 日月極明, 而無面目之可顯, 迺者我殿下, 不以釁汚爲累, 銀臺除旨, 荐下於旬日之內, 而今此騎省恩命, 又侈簪履之收, 臣奉誥震悸, 五內失守, 自不覺血淚之被面也。 噫, 陽春布澤, 而枯木無重榮之望, 東海傾波, 而濁涇無可湜之期, 聖恩天大, 而私慟靡及於泉壤, 一身情理, 旣窮且慼, 官職去就, 不遑暇及, 所可幸者, 以臣危苦悲急弸結抑塞之私, 因此而得一冒陳於黈纊之下, 臣雖卽日滅死, 庶可無憾, 而少贖其不忠不孝之罪矣。 衷情所迫, 言不知裁。 伏乞天地父母, 俯賜矜諒, 亟削臣所授職名, 仍許臣退塡溝壑, 得以戴罪含恩, 歌詠聖化, 以卒生成之澤, 千萬泣祝, 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 爾之年前所遭之奇怪, 不待爾之此疏, 人孰不知其搆捏乎? 爾其勿辭, 卽爲肅命。
○ 兵曹參議
李羲甲
疏曰, 伏以, 皇穹不弔, 我大行大王大妃殿下, 奄棄臣民, 光陰迅駛, 晦朔推敓, 山陵已封, 虞卒且畢, 伏惟聖慕皇皇, 靡所逮及, 攀號罔極, 何以堪抑? 天道流行, 繼之以吉祥, 聖痘自初平順, 玉候不日康復, 上告下布, 次第誕擧, 億萬年無彊之休, 實自今始, 歡欣慶忭, 愈久愈切, 仍伏念臣宜死不死, 茹冤含慟, 六年于玆, 而轉眄之頃, 臣父之墓草已宿矣。 臣爲臣不忠, 爲子不孝, 茫茫穹壤, 泣血自悼, 喘息苟存, 淹延時日者, 亦云冥且頑, 而木石之不若也。 噫, 人臣遭罹之罔測, 從古何限, 而豈有如臣年前所被之至潛毒至醜辱者哉? 緣臣無狀, 上累先朝則哲之明, 下貽私門不湔之羞, 冤憤塡胸, 旣一暴之無階, 垢穢滿身, 非三薰之可洗, 具此形氣, 得此題目, 苟有一分血性, 則惟當剚腹自明, 卽地溘然, 而臣冥若無知, 腐心痛骨, 恤恤焉倀倀焉式至于今者, 誠以本事關係, 非止自已, 未及伸暴之前, 生當不齒於人, 死爲不...
○ 乙丑七月二十一日午時, 上詣
孝安殿
。 晝茶禮親行入侍時, 左承旨
金宗善
, 右承旨
李文會
, 右副承旨
金會淵
, 假注書
兪應煥
, 記事官
盧
·
徐淇修
, 直閣
洪奭周
, 待敎
朴宗薰
以次侍立, 時至, 上具衰服, 由齋殿入殿門, 詣版位, 引儀唱俯伏哭, 上俯伏哭, 引儀唱止哭興四拜興平身, 上止哭, 興四拜興平身, 仍詣神位前, 通禮啓三上香,
宗善
奉香,
文會
奉爐, 上三上香, 通禮啓執盞獻盞,
宗善
奉盞以進, 上執盞授
文會
,
文會
奉奠于靈座前, 上還復位, 引儀唱俯伏哭, 上俯伏哭, 引儀唱止哭興四拜興平身, 上止哭, 興四拜興平身, 通禮導上還齋殿, 諸臣以次退出。
○ 乙丑七月二十一日午時, 上詣
孝安殿
。 晝茶禮親行入侍時, 左承旨
金宗善
, 右承旨
李文會
, 右副承旨
金會淵
, 假注書
兪應煥
, 記事官...
○ 乙丑七月二十一日申時, 上御
誠正閣
。 坐直承旨, 召對同爲入侍時, 左承旨
金宗善
, 右副承旨
金會淵
, 假注書
兪應煥
, 記事官
盧
,
徐淇修
以次進伏訖。 上曰, 有公事持入乎?
宗善
曰, 無公事矣。 上曰, 今日直閣入直乎?
宗善
曰, 然矣。 上曰
日省錄
, 自政院捧入之時, 承旨見之乎?
宗善
曰, 自內閣封入, 故承旨不爲拆見矣。 上曰, 然則承旨初未之見乎?
宗善
曰, 伏聞先朝時, 則自內閣直入, 故政院初不干涉, 閣臣承旨同入之時, 承旨始見之者云矣。 上命
宗善
讀奏
日省錄
數篇
淇修
曰, 先朝實錄, 今已訖役, 從近奉安於本館史庫, 而各處外史庫奉安件, 亦當同爲權奉於一庫矣, 第列聖朝實錄卷帙甚多, 而史庫形止, 極爲狹窄, 勢難盡爲奉安, 而從他無變通之道, 臣意則本館奉安件, 則依例奉安於史庫, 其他外處四史庫奉安件, 則姑爲權奉於本館西庫, 恐合便宜, 而事係重大, 不可不一番稟定, 故玆敢仰達矣。 上曰, 依此爲之。
宗善
曰, 臣於今日, 承命
皇壇
奉審, 則神室第二位第三位椅榻袱子渝色, 第三位神榻奉安處塗禙朽傷, 外北壁亦爲傾圮, 而伏聞今春該曹奉審時, 當國恤在殯, 未遑修改云, 今則修改之節, 不容少緩, 分付該曹, 卽速擧行, 敬奉閣滲漏處, 一體修改似好, 故敢此仰達矣。 上曰, 依爲之。
出擧條
上曰, 召對爲之, 賤臣承命出傳, 上敎曰, 罪人
李慶郁
梟示傳旨, 今當下之, 而自該營書入單子, 待單子啓下擧行, 可也。
會淵
承命出傳, 參贊官
金會淵
, 持
綱目
第三十三卷, 侍講官
呂東植
, 持
綱目
第三十三卷, 侍讀官
姜世綸
, 持
綱目
第三十三卷, 直閣
洪奭周
, 持
綱目
第三十三卷, 賤臣持
綱目
第三十三卷, 又持上下番記事官各所讀
綱目
第三十三卷, 以次進伏, 上開卷, 命讀之。
東植
讀自宋伐
林邑
, 止窟室婦女。 上曰, 下番讀之。
世綸
讀自
浩
因說
魏主
, 止無復孑遺。 上曰, 參贊官讀之。
會淵
讀自魏人侵宋, 止不可同年而校矣。 上曰, 閣臣讀之。
奭周
讀自魏上
邽東城
反, 止追討乎之。 上曰, 注書讀之, 賤臣讀自宋師克
林邑
, 止廣縱千里。 上曰, 上番讀之。
讀自宋築北隄, 止
宋主
默然。 上曰, 下番讀之。
淇修
讀自八月, 止復還故土。 上曰, 文義陳之。
東植
曰,
宗愨
, 願乘長風破萬里浪, 則其志氣, 槪可想見矣。 檀和之能知其爲人, 而以爲前鋒, 擊破林邑, 夫人主用人之道, 亦何異於是哉? 知其有可用之才, 而拔擢之進用之, 以養其氣, 則必有收功之日矣。 是以培養士氣, 爲人主做治之要矣。 上曰, 何以則善爲培養士氣乎?
東植
曰, 此則在在上者導率之如何耳。
宗愨
破賊還家之日, 衣櫛蕭然, 則其氣不可但以麤豪論, 而若不遇檀和之, 則世豈知有
宗愨
乎? 古人云才不借於異代, 雖叔季之世, 亦豈無此等人乎? 但知其才而用之, 如
宗愨
, 則何患乎士氣之不養而人才之不得乎? 上曰, 下番陳之。
世綸
曰, 佛道固害民病國, 則不可不禁矣, 奏未畢, 上曰,
魏主
有沙門門誅之法, 門誅者, 闔門皆誅之謂也。 禁之而不從命者, 固可誅之, 而今誅其闔門, 則無罪者亦被誅, 豈不酷乎?
世綸
曰, 聖敎至當矣。 佛之入中國, 已累百年矣。 固當漸次申禁, 而今
魏主
, 令出三年, 大行誅戮, 徒見其殘酷, 而無補於世敎矣。 且
魏主
, 崇奉寇謙之酷信圖讖, 而多發誕妄之事, 夫圖讖, 左道之尤者也。 一邊崇左道, 而一邊禁左道, 豈有令行禁止之理乎? 上曰,
魏主
有憂於政敎不行, 禮義大壞, 則初不當酷信圖讖矣。 且盡坑沙門者, 欲其令行禁止, 而畢竟亡匿, 獲免收藏書像, 則法之不行, 果如下番所奏矣。
世綸
曰, 正學比則陽也, 異端比則陰也。 陽盛則陰邪之氣不敢干, 正學明則異端之說不敢行, 此理勢之所必然者也。 以東方言之, 羅麗之際, 佛道極盛, 王公匹庶, 莫不崇奉, 擧一國之人而皆入於蔥嶺世界矣。 逮我聖朝, 倡明正學, 誕敷儒敎, 一洗舊染之汚, 則佛氏之道, 不期衰而自衰, 在今日固無可憂者矣。 大抵正學旣明, 則其功效, 豈止於息異端而已哉? 治天下國家之法, 皆從此中出矣, 而乃若明正學之要, 則在乎立大本, 大本者, 人主之一心是已。
堯
·
舜
·
禹
以精一執中相傳,
成湯
·
武王
, 於盤盂几杖皆有銘戒者, 皆所以立大本也。
朱子
曰,
孟子
只管敎人收放心, 今人, 終日放去一箇心, 如無梢工底船, 船無梢工, 則在水上, 靡所止泊, 畢竟覆敗而後已。 若使此心, 放逸流蕩, 無所主宰, 則雖日讀聖賢之書, 日講
堯
·
舜
之治, 亦何益乎? 唯我殿下, 御極以來, 頻開講筵, 以求學問之益, 而五六年間, 治效未著, 紀綱日頹, 臣愚死罪竊以爲, 殿下之立大本者, 猶有所未盡而然也。
孟子
曰,
舜
何人也予何人也? 有爲者亦若是, 人君苟能立大本而明正學, 則
唐
·
虞
之治, 不難做矣, 伏願深留聖意焉。 上曰, 當體念矣。 上曰, 參贊官陳之。
會淵
曰, 臣別無可陳之文義矣。 上曰, 閣臣陳之。
奭周
曰,
杜耽
自謂中華高族, 南渡不早, 便以傖荒賜隔, 而證日磾之不能用,
宋主
默然知其言之爲是, 而終不能矯其用人不廣之弊, 良可歎也。 蓋江左用人, 專尙門閥, 王謝數三家之外, 歷敡淸要者, 絶罕其人, 宜其治功之不古若也。 古之聖王, 立賢無方,
傅說
起於版築,
膠鬲
擧於漁鹽,
伊尹
莘郊
之農夫,
呂尙
渭濱
之釣叟, 而下逮春秋之世,
管仲
取盜,
趙文子
擧管庫, 以言乎漢則
卜式
之牧羊,
哀盎
之群盜, 而皆爲名卿,
丙吉
以獄吏而爲三公,
衛靑
以人奴而爲大將, 至於刀筆小吏, 閭巷賤士之蜚英而羽儀者, 不可勝計, 此所以三代以下人才之盛, 必稱西漢爲第一也。 魏晉以後, 專尙門閥, 唐宋以後, 專尙科目, 取人之道, 雖不如古, 而八域之廣, 群髦旁招, 猶有無方之遺意, 夫秦漢都於關中, 關中天下之西也, 而人才常出於山東, 皇明都於
燕薊
,
燕薊
天下之北也, 而人才常出於南方, 初未嘗以遠近而爲親疎矣。 我朝國初, 亦遵古制,
西北
之人, 多通華顯, 逮至中葉,
嶺南
爲人才之府庫, 公卿之位, 殆盡其半, 其後名賢輩出, 亦多在於
湖西
, 夫何挽近以來, 用人之路不廣, 嵬官顯仕, 不出於城闉之內簪纓之族, 則
西北
之人, 已無可言, 竝與
三南
士夫之鄕, 而絶無束帶立朝之人, 此不但大有乖於古聖王立賢無方之義, 殆亦漢唐以後所未有之事也。 夫以一隅偏邦, 固不如中華之多才, 而於其中, 旣限科目, 又限門地, 而科目門地之中, 又隔以方隅之遠近, 臭味之親疎, 而餘存者能幾人乎? 假使
伊
·
傅
·
膠
·
呂
之賢, 復生於今日, 將爲厮役之不暇, 何論於日磾之養馬乎? 或以爲草野疎逖之人, 其練事識體, 不及於京華簪纓之閥, 此又有大不然者,
陸贄
之言有曰, 人之有才, 如玉之在璞, 追琢則圭璋, 抵擲則瓦礫, 如水之發源, 疏濬則泉沿, 壅閼則泥滓, 亦惟在乎奬發興起之如何耳。 鄕曲巖穴之士, 驟登仕路, 其於體例格式之練熟, 周族應對之嫺習, 或不如世閥子弟, 而亦其勢然也。 然其可用之實, 則豈在於斯乎? 今日而拔一人, 明日而拔一人, 用之以漸, 要之以久, 則蔚然而興者, 何遽出於京華世族之下哉? 伏願殿下, 深留聖意, 以收攬遠人, 爲立賢之本焉。 上曰,
陸俟
, 再破賊, 其功大矣, 而位不過於外都大官何也?
東植
曰, 魏之官制, 臣未及考之, 故不能質言矣。
世綸
曰, 後
陸俟
又爲
東平王
矣。
東植
曰, 閣臣所奏好矣。 小臣自西而還, 有所採聽者,
海西
之人五六代以上簪組不絶, 有以先正臣
趙光祖
門人, 超拜守令者矣。 近來爲文武科者, 亦求仕不得, 退老邱壑, 此豈古聖王立賢無方之意哉? 十室之邑, 亦有忠信, 則以
海西
一路之廣, 必有可用之才, 伏願特加收攬焉。
奭周
曰, 疎逖之人, 自分其不得用, 則便有自暴自棄之意, 不復修其才業, 聖人在上, 欲無一物之不得其所, 而今使一路之人, 皆歸於自棄之科, 豈不爲之惻然而矜憫者乎? 上掩卷, 命玉堂先退,
宗善
曰, 知實錄事
李晩秀
言送, 以爲昨日動駕時, 已爲仰稟, 而先朝
實錄行狀
正本內入件還下, 然後可以更爲校正而入梓云矣。 上曰, 待還下, 可也。
惠慶宮
進服薑茶湯, 一貼煎入, 蔘吉茶, 自明日停止。
出榻敎
惠慶宮
進服薑茶湯, 依前方一貼更爲煎入。
出榻敎
仍命退, 承史閣臣以次退出。
○ 乙丑七月二十一日申時, 上御
誠正閣
。 坐直承旨, 召對同爲入侍時, 左承旨
金宗善
, 右副承旨
金會淵
, 假注書
兪應煥
, 記事官...
○ 乙丑七月二十一日酉時, 上御
誠正閣
。 坐直承旨·推考房承旨入侍時, 左承旨
金宗善
, 右副承旨
金會淵
, 假注書
兪應煥
, 記事官
盧
·
徐淇修
以次進伏訖。 上曰, 罪人
李慶郁
梟示事, 自該營已爲待令乎?
宗善
曰, 招問御營廳敎練官, 則諸將官及軍兵, 皆已出待沙場, 大將待單子判下, 將爲出去擧行云, 而未及擧行之前, 先聚軍兵, 恐有騷擾, 且日勢已暮, 如或經宿, 則軍兵之弊, 亦不可不念, 故以此意, 往復于御將, 御將亦以爲然, 軍兵, 使之姑爲還入城內, 待下敎將爲擧行矣。 上曰, 刑曹啓目入之, 賤臣承命出傳還入, 又命促入, 賤臣承命出傳, 又命
促入,
承命出傳, 持啓目入, 上敎曰, 刑曹啓目罪人
李慶郁
報議政府詳覆施行啓目判付, 自罪雖痛惋以下二十七字抹去, 以啓依允改書出, 又敎曰, 刑曹結案罪人
李慶郁
出付御營廳草記, 以休紙書下, 又敎曰結案罪人
李慶郁
梟示傳旨, 以休紙書下, 又敎曰, 御營廳結案罪人
李慶郁
梟示單子, 以休紙書下, 上曰, 如是處分之後, 言地亦無所事乎覆難矣。
宗善
曰, 擧行因詳覆延拖, 則公議將拂鬱矣。 上命退, 諸臣以次退出。
○ 乙丑七月二十一日酉時, 上御
誠正閣
。 坐直承旨·推考房承旨入侍時, 左承旨
金宗善
, 右副承旨
金會淵
, 假注書
兪應煥
, 記事官...
[ PC버전 ]